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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(85) 妹伊邪那美神(16) [日本の歴史]

 日本書紀は、蛭児の事は、全部で、六ヶ所に書かれています。

その内の第一書には、次のように記します。
遂爲夫婦、先生蛭兒、便載葦船而流之。次生淡洲、此亦不以充兒數。故、還復上詣於天具奏其狀、時天神、以太占而卜合之、乃教曰「婦人之辭、其已先揚乎。宜更還去。」
蛭児は、三年経っても良くならないので、葦船に乗せたと記されています。
次生淡洲----これは何処だと思われますか。

別の一書には、
 次生蛭兒。雖已三歲、脚猶不立、故載之於天磐櫲樟船而順風放棄
 三歳になっても、立つことが出来ないので、天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ。堅固な楠で作った船)に乗せて流した。

日本書紀では、この部分は、第十書まであって、詳しく書いてある一面、これだけの伝承が有ると言うことは、良く解らないのだと書いたのでしょうか。

 私は日本書紀を書いた人は、蛭児とは、どのような胎児だったのを知らなかったのではないかと推理しました。

都会に住んでいる者には、「蛭」とはどのようなものとは、見る機会がありませんから、判りませんが、50年も前ですと、水田にも居ました。その他、川や沼にもいました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB_(%E5%8B%95%E7%89%A9)
(写真あり) 川に入りますと、膝の辺りまで、くっついてきました。

 従いまして、太安万侶も、 ヒル(蛭)は知っていたと思います。
蛭とは書かないで、「水」を加えて、「水蛭子」としたと思います。古事記に書かれている「水蛭子」は、日本書紀の作者は、知っていましたが、「蛭児」と書き、「三歳になっても、立つことが出来ないので、流した」と記しました。と云うことは、蛭のような胎児では無くて、始めから足はあったことになります。
 
「蛭児」は、不具者ではなくて、未熟児だと思います。 まだ、人の形もしていない胎児のことを言うのだと思います。
 従いまして、三年間、育てたが、立てないから流したというようなことは無いと思います。
 ネットで、調べましたが、私が書いたようなことを書いた記事は見つけることが出来ませんでした。

 <ヒルコ>は人間に限りません。動物の世界では、再三あるわけではありませんが、見ることは出来ます。 太安万侶は、どのように記したか、自分で、古事記を読んで確かめてください。