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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(97)別天つ神五柱(9) [日本の歴史]

 伯耆街道のことは、後にして、伯耆国と因幡国は、どの様な国であったかを見ます。
 伯耆国 
 政庁は久米郡八代郷(倉敷市国府)におかれ、次の六郡を統括していました。
郡数・郷名は、「和名類聚抄」より知ることが出来ます。
①河村郡
 笏賀、舎人、多駄、埴見、日下、河村、竹田、三朝
②久米郡 
八代、立縫、山守、大鴨、小鴨、久米、勝部、神代、下神、上神
③八橋郡
 方見、由良、荒木、古布、八橋、箆津、
④汗入郡 
束積、汗入、奈和、尺度、高住、新井
⑤会見郡
 日下、細見、美濃、安曇、巨勢、蚊屋、天万、会見、千太、星川、鴨部、半生、
⑥日野郡
 野上、葉侶、神戸、阿太、武庫、日野

上記の資料は、山川出版社 『鳥取県の歴史』山中寿夫著 29ページから転載したものです。はじめは、因幡国の地名も転載するつもりでしたが、伯耆国だけにしました。
読むことが出来ない漢字があり、調べただけで、難儀しました。それに加えるに、読むことが出来ない地名が多く、伯耆国だけになりました。

この外に、初めて知ったことは、この地名は、645年の改新の詔によって、山陰道には丹波・丹後。・但馬・因幡・伯耆・石見・隠岐の国々が置かれた。
と書いてあったことです。

私が読んだ記事を書いた方が間違っているのかも知れませんが、645年の改新の詔によって、全国に、郡、郷、国が、作られたとされています。鳥取県だけを見ても、厖大なものです。
 国には、階級も定められています。 これはこの時に作らなくても、無ければ、税金を徴収することもできません。
 このシステムを完成させるには、10年あっても、根拠はありませんが、時間がたりないように思われます。
 
 地名は、名前が、どうして付けられたか、地名から、推察できるものですが、どれ一つとして、日本人が付けた名前のように思われません。
例えば、久米郡の下神、上神は、地元の方以外は、読むことが出来ないと思われます。

 ここは、ユダヤ人と関係あるのではと考えています。
 
郡や郡に相当するものは、以前からあったと考えるのが、無理がありません。

国を郡と郷名を付けて、整理するシステムは、中国には、当然あったでしょうし、地名の付け方から、考えますと、天皇家のものが、作ったのではなくて、大半は、中国人が、システムを作ったのではないかと、考えています。