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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(105)  別天つ神五柱(17) [日本の歴史]

 地名「御墓原」は見つかりましたか。
 御墓原のやや、左上に、活字を大きくして「会見町」と記されています。 御墓原は、会見町に在ることが判ります。
 ウィキペディアに依りますと、

会見町(あいみちょう)は、鳥取県西部の西伯郡に存在した町である。
2004年(平成16年)10月1日に合併により南部町となり[1]、町役場は南部町役場天萬庁舎となっている。
• 1955年(昭和30年)4月25日 - 賀野村・手間村が合併して発足。
• 2004年(平成16年)10月1日 - 西伯町と合併して南部町が発足[1]。同日会見町廃止。
現在は、南部町に在ることが判ります。 と言うことは、私が持っている国土地理院「米子」1:50000 の地図は古いことになります。

上記の事から、会見町は、現在はありませんが、1955年に名付けられた地名となります。

会見町は、どうして付けられたか判りませんが、イザナギとイザナミが「会見」した所だという伝承があったからではないでしょうか。

 古事記では、黄泉の国に行ってしまったイザナミを引き戻す為に、イザナギが、追いかけて行ったことになっています。 その時は、二人で、話をしたことになっています。
 古事記の原文で確認してください。

 黄泉の国は、現実にはありませんから、病気になったイザナミが、入院していたと考えた方が自然です。 
そして、イザナミは亡くなって、御墓原に埋葬されたとの筋書きがしっくりしていますが、この辺りに、ある地名としては、「高塚山」がありますが、不明です。イザナミの墓とするものは、4ヶ所ほどある様に書かれてあったと思います。