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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(190)   吉野ヶ里(33)  [日本の歴史]

「式内社と祭神」の表は、私が作ったものですが、嘘は書いていません。神社の名前と、祭られている神さんの名前を書きました。
 本当は、祭られている神さんが、どのような神さんかを分析したいのですが、体力不足です。

延喜式神名帳
平安時代の律・令・格の施行細則を集成した法典で、醍醐天皇により延喜五年(905)八月に編纂を開始、 二十二年後の延長五年(927)十二月に完成した。
 五十巻三千数百条の条文は、律令官制の二官八省の役所ごとに配分・配列され、巻一から巻十が神祇官関係である。  延喜式巻一から巻十のうち、巻九・十は神名帳であり、当時の官社の一覧表で、祈年祭奉幣にあずかる神社二千八百六十一社 (天神地祇三千百三十二座)を国郡別に羅列している。

上記の文章は、
延喜式神名帳 
http://www.genbu.net/engi/
より拝借。

延喜式神名帳は、上記のことより、完成までに、22年間を要したことになります。

私は3132座をできるだけ訪れて見ようと、殆どを車で訪れました。 記録も記憶も残っていませんが、最後の滋賀県の時は、諦めた時は、滋賀県だけで、三年経過していました。
 
滋賀県は、一覧表で見て戴ければ、分かりますが、155座で、三番目に多いことが判ります。

はじめは、湖東を重点的に訪れていました。理由は、こちらでは面白い歴史が見つかると思っていました。
 滋賀県のマップ
http://kofun.info/kofunlistmap/28

 しかし、ある時に、湖西を車で走りましたら、比叡山の山麓に、古墳があるので行きました。古墳は、少し登った所にありました。手の加えられていない、巨大な石で造られた古墳が一杯でした。

 滋賀県訪問の、三年間の内、古墳群に多くの時間を費やす事になりました。
皇子山古墳や百穴古墳をネットで検索して戴きますと、多くの方が、写真を掲載して居られます。 どれほど、高い所に古墳があるか、また、その古墳の立派さを写真でご覧ください。
 私も一杯写真を写しましたが、ハードディスクに保存しただけで、見たことはありません。
「式内社と祭神」の表は、私の独断ですが、式内社が少ない所は、天皇家の支配が強い所です。 但し、927年前後の事に限られます。 多い所は、例えば、住民の人口を調べれば、きっと、多いと思います。

 話はあちこちに飛びましたが、927年前後では、間違いなく、吉備では天皇支配が強かったことになります。

唯、神武東征、紀元元年ころのことですから、927年間ずっと、吉野ヶ里が栄えたとは限りません。

式内社とは、定義は難しいですが、延喜式神名帳に記載される神社を言い、政府より幣帛を受ける神社を言うようです。

明治〜大正期の幣帛料
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%A3%E5%B8%9B

「帛」は布を意味し、古代では貴重だった布帛が神への捧げ物の中心だったことを示すものである。
『延喜式』の祝詞の条に記される幣帛の品目としては、布帛、衣服、武具、神酒、神饌などがある。
幣帛は捧げ物であると同時に神の依り代とも考えられていたため、串の先に紙垂を挟んだ依り代や祓具としての幣束・御幣、大麻なども「幣帛」と呼ぶ。


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