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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(219)白狄人(6) [日本の歴史]

白狄人のことは、中国でも、あまり分かっていないようです。
しかし、1974年から始まった平山県の三汲公社一帯で行われた発掘により、戦国時代の中山国の王都であった霊寿城の遺跡と何代かの王陵を発見した。そして、そのうちの二つの王陵を発掘した結果、驚くべき成果を上げたのである。
 と、中山王国文物展の解説書の長い序文に記されています。

1974年からはもう、30年以上を経過しますから、中国では、多くの発見があったと思われますが、私が知り得る中山王国の資料は
『中山王国文物展』の解説書のみです。

中国の戦国時代とは、紀元前476年~221年です。世界で眺めますと、ローマ共和国の時代です。
 解説書は183ページのうち、50ページは、日本語の文章ですが、書かれていることは難解ですので、私の頭では理解困難ですので、お伝えすることはできません。

以下は厖大な写真から、私が考えたことを少し書いてみようと思います。
 写真はカラーと白黒との二つに分かれますが、43図は、銀象かん双翼神獣 (かん? は山の下に甘と右に欠)   2ページにわたって、1匹ずつ掲載
 英語表示は Bronze image of mythical monsqer with two wings  (two pieces)

見た目は 銅製品のように見えますが、他のページにある食器では、黒陶器と書かれています。一見漆を塗った様に、黒光りをしています。

説明が難しいですね。やはり、先日書きましたように、購入して戴くしかありません。

私が一番感銘を受けたものは、二匹の猟犬の骸骨でした。
犬は二頭を並べて、横向けの姿勢で埋葬されていました。脚も揃えて延ばした姿勢です。
不思議なことに、固い陶器などは、壊れていたのを修復された状態で写真に収まっていましたが、この犬は二頭、同じ大きさで、すらっとした長い脚は、猟犬を示しています。しかも、細い指の先まで、骨折がなかったことは、土の重みに耐えれる様に、幾重にも布団のようなものでくるまれていたと想像できます。
首には、金銀製の首輪が付けられています。
 二頭同時に、死ぬことは考えられませんから、主人と一緒に旅立てるように、安楽死をして、埋葬されたと思いました。
 中山国王だけではなくて、北狄人の人は、犬が好きだったのではないでしょうか。

天幕生活をしていたらしく、天幕の用具も発掘されています。ということは、北狄人は、遊牧民族だったことになります
 そうしますと、犬は大切なパートナーです。 死後の世界に行っても、必要だったかも知れません。

 他の写真に目を移しますと、15本のローソクを立てることの出来る燭台(十五連さん燭台)の写真が有ります。この燭台は青銅製で、三頭の虎に支えられる円盤のうえに、83センチの高さの樹枝状に作られ、枝には鳥が止まり、猿がぶら下っている複雑な仕様のローソク立てです。
 もう一度書きますと、虎と小鳥と七頭の猿があしらわれています。

写真を眺めていますと、やはり、北狄人の人は動物が好きだったのだと思ってしまいます。

隠岐の島町には、 犬来(いぬぐ)犬島崎(いぬじまざき)があります。 
 〈隠岐にやって来た北狄人たちは、自分たちの住もうとした町に、動物の名前をつけたと考えたいのです〉

全国にある犬地名は、次の所にあります。
https://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/48769020.html

もし、犬地名の所に、イザナギとイザナミとの関連が見つかりましたら、隠岐に北狄人が移動して来たことの証拠になると思われます。


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イザナギ命は白狄人の王、白王   33  -65-
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2015-10-28
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