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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(251) 古事記と日本書紀(5) [日本の歴史]

前回の文章は、どこかおかしいと思われましたか。

「同じ時代に、正史が、古事記と日本書紀と二冊存在したことになります」
本当は、一冊しかありません。
ある人は、日本書紀が正しいと思い、有る人は、古事記が正書と思っただけです。

正しいと思ったことを文章に書こうとした時に、両者とも、その文章の書き始めの言葉を

「天と地が初めに、存在した時」から書き始めました。
これは、偶然か、どちらかが、先に作られた歴史書を見て、真似をしたと考えるしかないと思われます。
 日本だけを視野に入れますと、真似をしたことになりますが、視野を世界に広げますと、地球はどのように誕生したかは、外国にあります。
 この場合は、真似をしたではなくて、参考にしたことになります。

しかし、日本書紀と古事記を並べて、考えた時は、どちらにも当てはまらなくて、日本書紀は、古事記は、正しくないことを説明する為に、作られたと考えています。このように私は考えますが、ズバリ、日本書紀は、古事記を消し去るために、書かれたと書いた書物は有りません。

だれが、そのような事を考えるだろうかと思われるでしょう。

誰か書いたかは分からない様に、日本書紀には、書いた人の名前は、どこにも書いてありません。本当は、書いてあったが、消されてしまったのかも知れません。

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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(250) 古事記と日本書紀(4) [日本の歴史]

「他の一書」に書いてある事が、すべて、正しいと仮定します。すると、同じ時代に、正史が、古事記と日本書紀と二冊存在したことになります。

それでは、二冊の内容を比べてみます。
両書とも、天と地が、定まらない頃からの事が書かれていて、天と地に分かれた様子から書き始めています。そのような世界の中に、神が生まれたと記します。

始めに生まれた神は、天之御中主神です。次々と生まれる神は、両書とも、一人神ですが、その内に、男女のイザナギとイザナミが生まれたことを記しています。

古事記では、この部分の神は、「別天つ神」ですと断る部分が有ります。
所が、日本書紀には、「別天つ神」は書かれていません。 日本書紀は、古事記を参考にして書かれたのではないかと推察していますが、古事記に書かれた「別天つ神」の意味が分らなかったのではないかと考えます。

古事記の初めの部分は、
 天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神。

「高天の原」の内、「天」の部分を「阿麻」と読むに拘って、注釈文が書かれています。

それ以上に、「高天原」という言葉が重要視されています。しかし、この高天原が、日本の何処にある場所だったかは、学門的によく分からなかったようで、ヒルゼン高原であることは、随分、最近になって解かったのではないかと思っています。

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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(249) 古事記と日本書紀(3) [日本の歴史]

 『日本書紀』の特徴は、世界に例を見ない編集方法にあります。
と書いて、「他の一書」の素晴らしさを書いて居られます。

私は、逆だと思います。本文において、足らない部分を補うものとして、「他の一書」が書かれていますが、「他の一書」が、誰が書いた、何時書かれた、書物の名前などが書かれていません。多い物では、11書かかれたものが有りましたが、本文を補うものにはならないと思います。

 参考にすることは別に、悪くは有りません。

タイトルは、「古事記と日本書紀」としましたので、いつも、思っている不思議を書いてみます。
 仮に、古事記も、日本書紀も、正史だとしますと、両書の内容は、同じ時代を扱った書物だと思われます。
 そうしますと、同じ時代に、正史が二つあったことになります。普通に考えますと、日本書紀は、何時、誰が書いたか、分かっていませんから、正史でないと考えますが、古事記は序文が有りました。
 古事記の序文には、書いた人の名前「太安万侶」の名前が、このような書き方は、あり得ないから、序文は、ニセモノである。
 このような事から、古事記は、正史ではないと思われていました。

人間と云うものは、おかしな動物です。古事記はだれが書いたかを書いたを示す、序文があれば、この序文は、ニセモノだから、古事記は、偽書だという人間が登場します。 一方、序文のようなものはない日本書紀は、偽書だという人も現れます。

しかし、その後、太安万侶のお墓が、発見されました。 お墓の中に書かれていた名前と古事記に書かれている名前は、同じでしたから、古事記に書かれている事は、正しい。正史と認められるようになりました。

では、日本書紀は、どうかと成りますが、結論だけを言いますと、私は正史では無いと考えています。

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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(248) 古事記と日本書紀(2) [日本の歴史]

古事記と日本書紀は似たような事が書いてありますが、全く、異なっています。

どのように異なっているかを書いていますと、何時まで経っても、終りません。

ネット上にその違いを書かれた方は多いですが、次の方は、上手に書かれておられますので、読んで頂こうと思っています。
 この様に、書いている私は、全部読んで居ませんが、素晴らしい、ブログだと思います。

 『日本書紀』と『古事記』の違いに見る「日本神話」の豊かさとおくゆかしさとか
https://nihonshinwa.com/archives/763#i

ただ、大きな間違いをして居られます。

 『日本書紀』は、「正史」ですから!

ネットにある『ニコニコ大百科事典』にある「正史」を借用しますと、六国史にある六つの日本の歴史書が正史である。

六国史とは、勅命によって編纂された六つの日本の歴史書(日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・日本文徳天皇実録・日本三代実録)の総称である。

従いまして、古事記は、これに入りませんから、正史ではありません。

私は日本書紀は、正史でないと考えます。
その理由は、
 ①書いた人の責任者の名前がない。
 ②完成した年月日が書かれていない。
 ③正史ですから、書くように命令した人の名前が必要です。

私は、能力が有りませんので、六国史は読んでいません。

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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(247) 古事記と日本書紀 [日本の歴史]

タイトルが「神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます」で、246回書いてきました。
 私の積りは、古事記は神話ではなくて、天皇家の歴史が書いてあることを知って頂こうと思って、書いてきました。
 その為には、古事記をどの様に読むかを私流に、お話できればと思って書いてきました。

 しかし、残念ながら、現在では、ネットで、調べますと、古事記は、「偽書」であると思われる方が、大部分の様です。

 どうしてその様に考えられるようになったかと言いますと、似た様なことを書いた歴史書に、「日本書紀」という書物が有ります。
 これは、当時の政府が、書いた日本の歴史書である。と言うことが、色々の学者によって、認められたらしいです。

とはいうものの、日本書紀は、何時作られたかは、分かっていません。それに対して、古事記は、何時、どうして作られたかは、古事記の序文の所に、「太安万侶」と「稗田阿礼」によって作られたと言うことが書かれています。

 所が、この「古事記の序文」に当る所は、古事記が作られてから後の時代に、作者は分かりませんが、誰かが、作った事が、分かっているそうです。
 全く、文体が異なっていることが、証拠です。

しかし、両方の文章に書かれていることを全て、比べて、考えを進めますと、日本書紀が間違っているわけではありませんが、藤原氏の都合のよい様に、書かれていることが分かります。
 と言うことは、藤原氏の歴史で有ることが分かります。

どれぐらい日数がかかるか判りませんが、247日以上かかるのではないかと考えています。

よろしかったら、お付き合い下さい。      2017年10月4日

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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(246) 草津宿と関宿(11) [日本の歴史]

現在の宿場としては、草津宿の方が、当時の姿を残しています。それだけではなくて、全国規模で見ても、一番多くの当時のお家が残されているそうです。

草津は、中山道への分岐でもあるからだと思われます。

 それに比して、関宿の方は、少し淋しい面は有りますが、20年に一回、内宮宇治橋南詰の鳥居を関宿の入口に移し変えられます。
 
三重・関宿で20年ぶり追分鳥居ご用材「お木曳き」
http://www.sankei.com/region/news/150531/rgn1505310032-n1.html

鳥居は大きくても、トラックに積めば、簡単な作業ですが、 上の記事をご覧になれば、伊勢から引っ張ってくることが分かります。

 この行事が、何時から行われているかを考えただけで、そのスケールの大きさに感心します。
 日本人の心の大きさに、改めて、驚きを感じます。

(243)回の時に、次のように書きました。

コンピューターから 「関宿ぶらりマップ」を印刷して、眺めてください。
http://kameyama-kanko.com/wp-content/uploads/2017/03/map_seki.pdf
この地図に、西追分が掲載されています。
ここは、東海道と伊賀街道の分岐点です。

と言う次第で、関宿は、草津より重要な宿場であったことが分かります。

東海道は、江戸時代が重要だった道ですが、古さは、伊勢の方が古かったと思います。

どれぐらい古いかと言いますと、紀元前に遡り、ユダヤ人と関係あるのではと思います。

参考に
伊勢街道
http://outdoor.geocities.jp/byffg309/5kaido/go-26isekaido.htm



地図の上にある宿場は、草津宿です。 
神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(236) 草津宿と関宿 [日本の歴史] [編集]
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2017-09-25-2 今回で、二つの宿場の事について、11回書いてきました。 こちらは、東海道の宿場でしたから、宿場は立派で、日本で一番、町が残った様に思われます。

 出来れば、遠方の方は、どちらかの宿場の近くで、一泊されれば、宿場の重要性が分ると思われます。




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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(245) 草津宿と関宿(10) [日本の歴史]

蘇民将来という言葉をご存じですか。
関宿を歩いていますと、立派なしめ縄が飾ってあるお家が有りました。
しめ縄は、私の概念では、お正月を迎える当たって、わが家に神さんをお迎えする為に、先ず、入口が分かり易い様に、門松を立てて、注連縄を飾ります。
 1月15日には、神さんには、帰って頂き、新しい生活が始まります。

関宿で見た注連縄も、同じ考えに基づく飾りではないか。神さんに見て頂くものではないかと考えました。

しかし、今は、10月です。 この調子では、一年中飾られる事になります。

https://www.google.co.jp/search?q=%E8%98%87%E6%B0%91%E5%B0%86%E6%9D%A5&tbm=isch&imgil=Ce8eDmQdcfsDBM%253A%253BKYDHjVYg2dNg_M%253Bhttp%25253A%25252F%25252Fblog.goo.ne.jp%25252Fhasakaru%25252Fe%25252Fe74a9359cfad1524c059dac634b8ecd4%25252F%25253Fymd%2525253D200801%25252526st%2525253D1&source=iu&pf=m&fir=Ce8eDmQdcfsDBM%253A%252CKYDHjVYg2dNg_M%252C_&usg=__nLKAvWu2Fokh0ag6WgwtieK0W8g%3D&biw=1412&bih=696&ved=0ahUKEwjnv7jJx9LWAhULvrwKHcibD8YQyjcIRA&ei=KoTSWeeCEYv88gXIt76wDA#imgrc=Ce8eDmQdcfsDBM:&spf=1506968537790  
関宿から、駅まで戻って来た時に、関宿の説明をしてくださった方に、蘇民将来の注連縄のことをお聞きしましたら、ご自分の家では、お正月が済んだら、注連縄は外しますと言われました。

次の記事は、伊勢の事ですが、始めに、書きました様に、遷宮の時までに使っていた鳥居を関宿に持って来たということは、伊勢と関宿とは、関係があったことになります。


え!どうして、365日ずっと「しめ縄」を飾るんですか?【伊勢の不思議#1】
http://www.15emit.net/?p=3510
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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(244) 草津宿と関宿(9) [日本の歴史]

なかなか、草津宿と関宿のことを上手く書けないのですが、この山の中にある集落が、ただの観光地では無く、生きていることに驚きました。

ただ、生きているのではなくて、伊勢神宮は、日本の重要な神社であったこともを分かります。

現在、並行して、アメリカのトランプ氏が、世界制覇をめざして、北朝鮮に宣戦布告をしました。
 
 日本へ、水爆を積んだミサイルが飛んでくる事は、覚悟をしておかなければ、成らないと考えています。

この時に、重要なのは、宗教ではなくて、「神」ではないかと考えています。

関宿で神の存在を見つけたような気がします。

次回に。

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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(243) 草津宿と関宿(8) [日本の歴史]

草津から柘植迄は、草津線です。柘植から関まではJR関西本線です。
 草津線一時間に一本の列車しかありません。

 出来れば、効率よく、関宿を見学しませんと、電車の時間に遅れますと、一時間待つ必要があります。
駅の中に、観光のイラスト案内図がありましたので、頂戴しました。
そこには、ボランティアで、案内される方が居られましたので、案内図を見ながら、説明をして頂きました。

コンピューターから 「関宿ぶらりマップ」を印刷して、眺めてください。

http://kameyama-kanko.com/wp-content/uploads/2017/03/map_seki.pdf ①始めに、一番東の「東の追分」というとこまで行き、反対側の「西の追分」まで、見学をしたらよいと教えて頂きました。 町はこの間にあります。

②「東の追分」には、大きな鳥居が有ります。
 東追分は関宿の東の入口にあたり、東海道と伊勢別 街道が分岐していました。今も残る大鳥居は伊勢神宮を遙拝するためのもので、20年に一度の神宮式年遷宮の際に、内宮宇治橋南詰の鳥居を移したものです。鳥居の近くには、「これよりいせへ」「外宮(伊勢 ...

 神宮式年遷宮 
http://www.sengu.info/
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神話ではなかった古事記・古事記を読んでみます(242) 草津宿と関宿(7) [日本の歴史]

世界に目を移しますと、日本よりも古い国はいっぱいです。 当然その国にも、沢山の歴史的建造物があります。
 ローマやギリシアには、巨大な建造物があり、そうした建物は、100年経っても、残っているでしょう。 
 奈良や京都に残っている歴史的建造物は、すべて、木造です。どうして、木造なのに、残っているのでしょう。
 草津宿に残っているたてものは、すべて、木造です。

関宿でのお店では、土間に、いろいろの物を並べたお店がありました。台所用品の水切りに使う笊(ざる)などがありました。
  昔でしたら、竹で編んだものでしょう。

ざる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%96%E3%82%8B
年配の女性が、奥から出て来られました。 家内は、並べられた物に手を触れていましたが、私は天井を眺めました。
 腕では抱えきれないような太い柱が、少し、くねらせと、横に支えていました。(梁はり)  黒光りをしていました。
 「このお家は、古いですね。何時頃のものでしょう」とお聞きすると、「100年ぐらいで・・・」
と言われましたが、100年どころではないなと思いました。 江戸よりも、ずっと前だろうなと思いました。

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