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No301 東郷池周辺の遺跡 [日本の歴史]


写真は「鳥取県羽合町境域委員会」の発行の「長瀬高浜のはにわ」の表紙からお借りしました。左上三角部は日本海。その右の緑の濃い部分は、山岳地帯です。その左の部分が、馬の山古墳群。その東は橋津古墳群。その南に南谷古墳群。すこし、東に離れて宮内狐塚古墳です。その東北の山中に倭文神社があります。宮内狐塚古墳の南、濃い緑の部分は、東郷池です。
左に縦に黒っぽい緑の蛇行した部分は天神川です。天神川が中州を形成している部分があります。その東に、うすい白の四角の線が見えます。この部分が長瀬高浜遺跡です。
 長瀬高浜遺跡は1974年国道9号線北条バイパス建設のときに発見されました。10mの白砂の下に厚さ1~2mの黒砂層の中から遺構、遺物がみつかりました。
遺構
 弥生時代前期の玉作り工房跡4棟
 住居跡2棟
 古墳時代の竪穴住居跡167棟。
 奈良時代の掘建柱建物3棟
 その他、膨大な生活遺構が見つかっています。
埴輪
 膨大な埴輪が、砂丘の中から見つかりました。
http://www.renkeijiku.net/roman/html/roman/tottori/tot_s04.html

地図ではなく、航空写真を見て頂いたのには、理由があります。弥生時代前期から奈良時代までには、およそ1000年が経過しています。その間に、10mの砂で埋まったことになります。

長瀬高浜遺跡は、日本海から直ぐの所に位置します。砂丘がどんどん押し寄せそうな感じも受けます。100年に一度ぐらい津波はなかったのでしょうか? そのときには、一度に10mほど、埋まることが起こっても不思議ではありません。この遺跡に限らず、近くのボーリングをしますと、どのようにして、入り江になっていた東郷湾が、閉鎖されて東郷池になったのか分かるはずです。
 危険極まりない長瀬高浜遺跡が、長きに渡って使われていたということは、重要な所であったことが判ります。

今度は、山の古墳地帯に目を移しますと、馬の山4号墳は、鳥取県埋蔵文化センターの見解では、300年台、宮内狐塚古墳は400年台。両方とも前方後円墳で、前者は全長100m、後者は95mの鳥取県で一番大きい古墳となっています。古墳が大きいから勢力が強かったとは断定できませんが、東郷池は、古代においては、鳥取県では一番重要なところであったことが判ります。

「膨大な埴輪が、砂丘の中から見つかりました」が、古墳でもないところから、何故、沢山見つかったかを次回考えて見ます。


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