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No301 一志町と日置 [日本大好き]

No278 三重県と神島 において、三重県の神島と京都・大江町の皇大神社とを結んだ線上に、美杉村があることを書きました。三重県の地図をご覧ください。

 松坂市の北西に嬉野町そして一志町が見つかります。一志町に「日置」という地名があります。JR一志駅の近くです。
ここは、和名抄に記載された伊勢国一志郡日置郷と思われます。

 和名抄に記載された日置の地名は、外に、
 大和国葛上郡(今の広陵町を含む一帯)に日置郷が、
 和泉国大鳥郡(今の鳳町を含む一帯)には日部郷あり、堺市に日置荘ありました。

他の文献では、
『出雲国風土記』の神門郡の条りに
  日置の郷 郡家こほりのみやけの正東四里なり。志紀嶋の宮に御宇あめのしたしろしめしし天皇の御世、日置の伴部等ともべら、遣つかはされ来て、宿停とどまりて、政為まつりごとなせし所なり。故、日置といふ。
意味は、「出雲の国の神門(かむど)郡に日置の郷(さと)というところがあって、これは郡の役所から真東へ四里のところにある。この地を、なぜ日置の郷と呼ぶかというと、昔、欽明天皇の御代に、日置という一団が派遣されてきて、しばらく、この地に駐留して「まつりごと」を行なった。そこで、この地を日置の郷と呼ぶようになったのである」
  『日本古典文学大系』の頭注によれば、この日置の郷は、島根県出雲市上塩冶町付近の地、神戸川の北岸地域とある。
 
このようなことを参考にしますと、一志郡日置郷も、同様の可能性はあります。

又、9世紀はじめに存在した日置(和名抄より)地名は、
鹿児島県川内市 熊本県玉名郡 山口県大津郡 山口県佐波郡 鳥取県気高郡
兵庫県多紀郡 兵庫県城崎郡 京都府与謝郡 石川県珠洲市 新潟県東蒲原郡
新潟県中蒲原郡 新潟県南蒲原郡 愛知県海部郡 千葉県安房郡
以上のところに見られます。

 同じように考えますと、上記の所も、重要な所だったと思われます。
郷ではありませんでしたが、地名として、古い時代にはあり、現在もそのまま残っていると思われるところが、現在も日置という地名で各地にみられます。

読み  府県名   経度     緯度       地図名

1 ひおき  富山   137度17分  36度39分   五百石
2 ひおき  富山   137度17分  36度40分    上市
3 ひおき  愛知   136度53分  34度39分    熱田町
4 ひおき  三重   136度26分  34度39分    大仰
5 ひおき  京都   135度13分 35度36分    日置
6 ひおき 京都      135度32分 35度05分    殿田
7 ひおき 兵庫      134度46分   35度27分    江原
8 ひおき 兵庫     135度17分   35度03分    福住
9 ひおき 鳥取      134度01度   35度59分    鳥取
10 ひおき 熊本    130度43分  32度31分    来氏
11 ひおき 熊本    130度37分  32度31分    八代
12 ひおき 宮崎    131度30分  32度04分    日向日置
13 ひおき 宮崎    131度30分  32度05分    高鍋
14 ひおき 鹿児島   130度21分  31度34分    伊作
15 ひおき 鹿児島   130度21分  31度35分    長里
16 ひおき 鹿児島     130度22分  31度35分    伊集院
17 ひき 愛知          136度42分   31度34分     名古屋
18 ひき 和歌山       135度26分   31度35分     紀伊日置
19 ひき 和歌山       135度27分   31度35分    紀伊日置
20 ひよぎ 岡山       133度33分  34度37分     矢掛
21 へき 福井         135度30分   35度27分    高浜
22 へき 愛知         136度44分   35度09分    弥高
23 へき 京都         134度58分   35度19分    矢名瀬
24 へき 山口       131度04分   34度21分    山口
25 へき 熊本         130度38分   32度31分    八代
26 へき 熊本         130度42分   32度58分   熊本
27 へき 宮崎         131度30分   32度04分   高鍋
28     宮津市      135度16分   35度04分
29      篠山市       135度13分   35度36分

上の一覧表は見難いですので、<こちら>をご覧ください。

全く、話は別になりますが、以前にNHKに勤務されておられた水谷 慶一(みずたに けいいち)(金蘭短期大学教授〉氏が、『太陽の道』と名付けられた 謎の北緯34度32分
の上に、多くの人間が造ったものが並んでいることを発見され、NHKの番組でも放映され、又、『知られざる古代-謎の北緯34度32分をゆく』(日本放送出版協会刊)を出版されました。
 その簡単な内容については、 『太陽の道』に書いておられますので、ご覧ください。
どのような建造物・遺跡があるかと言いますと、
 伊勢斎宮遺跡 室生寺、長峰天満社裏山遺跡、長谷寺、三輪山、桧原神社、箸墓、賀神社、萩原天神、大鳥大社、伊勢久留麻神社、石上(いわがみ)神社 などです。

この中に入れませんでしたが、美杉村が北緯34度32上にあります。
三重県一志郡美杉村に戸木があると同時に、同村の中太郎生の前記、蔵王堂のある地区では、全戸数六〇戸のうち、実に二八戸が日置姓を名乗っておられます。現在でも、日置姓の人が多いことは、電話帳で簡単に確かめることができます。
 水谷 慶一は、「日置部は大和国家の新たな支配地へ中央から送りこまれた尖兵だったのである。彼らは武力集団であると同時に、太陽を祀る祭祀集団であり、測量をすると共に、また、製鉄や土器製作の新しい方法を身につけた技術集団でもあったらしい。これは、現在、日置の地名のある地域にかならずといってよいほど、製鉄遺跡や須恵器の窯跡が発見されることによっても裏づけられる」
 と書いておられます。確かに、このような面もありますが、私は、大和国家が出来る前から存在し、彼らの助けによって、大和国家が作られたと考えています。

なぜか判りませんが、「日置」のことを調べようとしますと、系統立てて、その組織の全容がつかめません。
例えば、日置という人物は、集めることはできますが、水谷氏が書いておられるような仕事ではありません。
弓の流儀に日置流 がありますが、16世紀になってからのことです。武力集団だった証拠になるかも知れません。日置氏は、確かに、測量することによって、上に書きましたように、墓や神社や寺院を建てましたから、祭祀集団とも見ることはできるかも知れませんが、太陽を祀る祭祀集団とは限りません。日置の地名のある地域にかならずといってよいほど、製鉄遺跡や須恵器の窯跡が発見されると書いておられますが、製鉄や須恵器を造るために、一直線上に並べなくてはならない理由が見つかりません。
 日置だけを取り上げましたが、弊岐・戸岐・戸木・部木、比企などの地名も、同じ仲間と考えますと、埼玉県の比企(ひき)郡があります。
これぐらい遠くなりますと、水谷氏は、「これらが大和朝廷の支配圏の拡大にともなって生まれた地名であることは、たぶん間違いあるまい」と書いておられますが、鹿児島を除きますと、すべて、「絹」と関係があると思われてなりません。

堺市に日置荘がありましたので、現地へ行ってきましたが、なに一つ手掛かりがありませんでした。仕方がありませんので、堺市の図書館へ行き、「日置」に関する本がほしいですとお願いしましたが、日置荘という荘園のことは書いてありましたが、日置氏らしきことは全く書かれていませんでした。全部、調べてわけではありませんが、地名以外は、なに一つ分かってっていません。
このような状態を、現在に当てはめますと、スパイですと、一切のデーターを消去されます。
日置氏の素性をどうして、失くしてしまう必要があったのか判りません。分かっていることは、正確に測量する技術は持っていたようです。

水谷 慶一は、『知られざる古代-謎の北緯34度32分をゆく』で書いておられます。自分たちで、苦心して測量をしておられます。現在の測量技術をもつてしても、北緯34度32分上に、建造物を作っていくことは、なかなか、困難らしいです。それほど、誤差はなく並んでいるそうです。
日置氏一族は、正確に、ある地点の位置を測量することが出来たということです。
北緯34度32というような言葉は使わなかったでしょうが、それに代わる記録方法も持っていたことになります。
仮に、箸墓も彼らの測量の助けを借りて、位置を決めたのであれば、記録はなくても記紀に書かれていても良いと思われますが、全く記録にはありません。

根拠はありませんが、測量だけではなく、彼らは、測量して、その土地へ移動したと思われます。その時に、直線の道はありませんから、曲がった道を通ることになります。その時に、め印となるように、山を三角形に修正したのではないかと考えています。三輪山も彼らが手を加えたのではないでしょうか?
No273多岐原神社   熊野街道から良く見えます。
No278 三重県の神島 京都・大江町の皇大神社にある日室山の写真があります。
           ここの測量にも日置氏が関与したと考えています。
           この近くには、日置地名が二ヶ所あります。


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