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元号使用の歴史 [思うままに]

ウィキペディアによりますと、 次のようになります。
『日本書紀』によれば、大化の改新(645年)の時に「大化」が用いられたのが最初であるとされる。以後、7世紀中後期には断続的に元号が用いられたことが『日本書紀』には書かれている。しかし、当時使われた木簡の分析によると、元号の使用は確認されていない。まだ7世紀後半は、元号よりも干支の使用が主流だったようである。文武天皇5年(701年)に「大宝」と建元し、以降継続的に元号が用いられることとなった。

元号制定の条件として、
『昭和大礼記録(第一冊)』によると、一木喜徳郎宮内大臣は漢学者で宮内省図書寮の編修官であった吉田増蔵に「左記の五項の範囲内に於て」元号選定にあたるように命じた[4]。
• 元号は本邦はもとより言うを俟たず、支那、朝鮮、南詔、交趾(ベトナム)等の年号、その帝王、后妃、人臣の諡号、名字等及び宮殿、土地の名称等と重複せざるものなるべきこと。
• 元号は、国家の一大理想を表徴するに足るものとなるべきこと。
• 元号は、古典に出拠を有し、その字面は雅馴にして、その意義は深長なるべきこと。
• 元号は、称呼上、音階調和を要すべきこと。
• 元号は、その字面簡単平易なるべきこと。
以下省略。

と記されていますが、どのような時に、元号を変えるという決まりは無かった様に思われます。

日本の元号一覧  
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#
の右橋に、「改元の理由」と記されています。

①天下安寧、政化敷行による改元。
②穴戸国の国司が白雉を献上した祥瑞による改元。(以後、瑞祥による改元が多くなる)
③孝徳天皇の崩御後、新たな元号は定められず。(天皇が亡くなられたから、必ず改元されたとは限らない)
④孝謙天皇即位による改元。(以後、多くなる。一条天皇---6回)
⑤水潦、疾疫による改元。-------村上天皇 (以後、多くなる)
⑥「大化」は初めて、採用された事になりますが、どうして、最初に制定されたかの理由は書いてありませんが、証拠として、日本書紀に記るされていると有ります。

 
日本書紀と古事記の違い
http://www12.plala.or.jp/rekisi/nihonsyokikojiki.html

この方の書いて居られることは、間違っているのではないでしょうか。
日本書紀と古事記は、両方とも、天武天皇のときに、作られたと言われていますが、古事記は、作ることが出来ても、日本書紀は、無理なのではないでしょうか。

日本書紀は、原文を私は読むことが出来ません。 日本書紀は、少なくとも、どうやら、
漢文で書かれています。
 古事記を書いた人と、まったく、違う人が書いたと思われます。おなじ、天武天皇の時代に、歴史書が、二つも作られたには、作る理由があったことになります。

 推理するだけですが、この頃から、中国人の力が強くなっていったのではないでしょうか。 この件は、自分で、検証したわけではありません。 

私が読んだ本では、私の考え方は、間違っているようにも思えますが、同じ天皇の時に、二種類の国之歴書があるのは、おかしい様に思います。

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コメント 1

名無し

年号を初めて立てることを建元、それまであった年号を改めることを改元といいます。実は大化は建元されたとは記述されてません。一般的に大化元年は西暦645年を指していますが、西暦695年を指しているとも言われています。実際に大化五子年と刻まれた土器が出土しているからです。因みに日本書紀には継躰建元の記事があります。こちらはご存知でしょうけど、続日本紀には大宝建元の記事があります。
by 名無し (2018-10-13 16:14) 

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