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古事放談  4-5  日留山人 [日本の歴史]

河内の前方後円墳に阿蘇の石棺が収められていた。これは〝吉備古代史の未知を解く〟に書かれている。
 吉備の巨大古墳には阿蘇の石も、四国の讃岐の火山石も高砂の竜山石も生駒の二上山の石までが使われていた。
 これは一時期九州も四国も飾磨も河内も心配していたのは共通の侵略者で漢の軍隊だったと考えてよい。。この本拠が吉備だった。
 漢は180年ころには衰亡して日本への補給が途絶えた。この時漢からの銅鏡が来なくなって三角縁神獣鏡を九州で作り出した。
 この時まで占領されていた吉備、飾磨、美作、伯耆を孝霊天皇の御世に奪回して、強力な防備態勢を敷いたのである。
 漢が滅びて魏になると丹波に中国軍の基地を築いた。ここから山城、河内から最後には奈良の一部を残した大和にまで侵略して来たのである。
 この時の軍隊は中国の植民地帯方郡の北鮮兵が主力だった。この軍隊を240年に崇神天皇が撃破したのである。
 
 
古事放談  4-5   99頁より引用


私からの一言
 銅鏡と三角縁神獣鏡のことが書かれています。これらは、元々、漢人が作っていたのを漢人が来なくなってから、日本人が作ったような文面になっています。漢人が作ったのでしょうか。
日本人が作っていたのでしょうか。このあたりをもう少し、詳細に書いてほしいものです。

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