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古事放談  5-3 日留山人 日野川と斐伊川 [日本の歴史]

伯耆には日野川があり、出雲には斐伊川がある。高天原が蒜山高原にあるためには、この二つの川が登場しないことにはおかしい。
 しかも日野川の場合は「之」が必要である。先づ日本書紀では「簸河」と「簸之河」と使い分けがしてある。
古事記では「肥河」と「肥上河」となって「之」の代わりに小文字で上の字が加えてある。
明らかに二つ別々の河があった。スサノオ命が遡ったのが「之」又は「上」のつく河でこれなら日野川になる。
蛇を切って血で赤く染まった川は斐伊川だ。
この蛇とは製鉄の職人のことと考えればよい。
更に中山王国とイザナギ命との関係で述べたが蛇と呼ばれたのは中山王国から来た職人と考えたいのである。
 高天原が蒜山高原だとすれば、スサノオ命が高天原から追放されて、遡った川は日野川でこの上流に鳥上山は現存している。
 「八俣之遠呂地」と原文にあったのを「八岐の大呂地」で元来地名だった。大呂は現存する。



古事放談  5-3   106頁より引用


私からの一言
「蛇を切って血で赤く染まった川は斐伊川だ。
この蛇とは製鉄の職人のことと考えればよい」

このような読み方をするのを「古事記を読む」と云うことでしょうか。
「古事記を読む」には、大切な事は、地名ですね。

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