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古事放談  5-4 日留山人 銅鏡 [日本の歴史]

魏志倭人伝で伊都国の卑弥呼の許に届けられた文書等は間違いなく邪馬台国の女王の許に届けられたと書かれた。
 伊都国は丹波で、邪馬台国は現在の備前である。この間の交流があったのだ。
 ここでも地図が必要だ。卑弥呼が居った伊勢大神宮の南に由良川が流れている。この川を遡って天王坂を越えると加古川の上流である。天王は海抜が僅かに170米である。
 天王坂と大王が往復したにふさわしい地名が残っていた。この天王とは久米国の崇神天皇の義弟、日下坐王でよいだろう。
 加古川の下流近くに、社の地名がありここが「木の国」と書かれた交通の要衝である。
 ここから久米国に伯耆街道が通じていた。
邪馬台国の女王、夜麻登登母母曽姫の許には海を利用したと考えてよい。
 崇神天皇がタケハニヤスを先づ征伐した。
この賊は奈良のすぐ北の木津川の北岸に陣取っていた。ここの地名が高麗村で、しかも椿井古墳から30数枚の銅鏡が出土した。
 崇神天皇の敵は銅鏡愛好者だったのだ。


古事放談  5-4   107頁より引用


私からの一言
 「 崇神天皇がタケハニヤスを先づ征伐した。
この賊は奈良のすぐ北の木津川の北岸に陣取っていた。ここの地名が高麗村で、しかも椿井古墳から30数枚の銅鏡が出土した。
 崇神天皇の敵は銅鏡愛好者だったのだ」

 これだけの資料では、「崇神天皇の敵は銅鏡愛好者だったのだ」は解かりますが、銅鏡は、自分で作っていたのでしょうか。 日本人も作っていたのでしょうか。

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