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古事放談  5-5 日留山人 [日本の歴史]

銅鏡の外に釣り針なども椿井古墳から出土した。
タケハニヤスは崇神天皇の軍隊に攻撃されて、これらのものを隠して逃げたと考えたい。
 これだけの大量の出土品があるなら、巨大古墳があってしかるべきだ。しかしこれは偶然工事現場から出土したのであって、出土するまで古墳と気付かなかった。人を葬ったのではなかったと考えたいのだ。
 この木津川は淀川の支流で同じく支流の桂川を遡れば、これも低い峠を越えるだけで魏の植民地だった伊都国の由良川に到達出来る。
 宇治川、瀬田川を通ってビワ湖にも古代の幹線ルートがあったのである。
 57年9月9日の新聞は紀の川の北岸に7棟の倉庫群が発見されたことを報じた。しかしこの用途はあいまいであった。
 これこそ河内を占領していた倭の五王の補給庫と考えるべきだ。倭の五王は5世紀に宋に密使を遣わしたのである。
 軍隊は北鮮人で、この人達は集落すなはち小隊毎に集結していた。従って食糧は他所から運ぶ必要があったのである。


古事放談  5-5   108頁より引用


私からの一言
① 「57年9月9日の新聞は紀の川の北岸に7棟の倉庫群が発見されたことを報じた」
新聞の報道は、大切ですね。
 出来れば、すべて、覚えておけば良いですが、すべては、覚えておれませんから、私は産経新聞の第一面のタイトルだけ、コピーしています。
 検索ますと、なにか、ひっかかるのではと期待しています。まだ、利用したことはありませんが、もし、なにかが見付かった時に、新聞が無ければ意味がありません。その時の為に、新聞は残してあります。ただ、これでは狭い家が一層狭くなるので、図書館の新聞にしようかとも考えています。


②「宇治川、瀬田川を通ってビワ湖にも古代の幹線ルートがあったのである」
 この記事も凄いですね。この辺りの地図を広げて居られる日留山人氏の姿が、想像出来ます。

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