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古事放談  5-8 日留山人 最終ページ [日本の歴史]

ヤマトタケルが甲斐を従伐したが、ここには富士川があり、銅鏡が出土し、前方後円墳が非常に多かった。地名にも竜王村、山城村、駒城村と中国臭の地名が残っていた。
 天竜川、千曲川等と数多くの川が中国人に占領された証拠が備っていた。
 これら全ての占領地に共通した条件は絹だったのである。
 九州で最近出土した絹は紀元前100年のものだった。地名に絹の縁のあるものがこれらの川の流域から見付かる。
 これは漢字で最初に地名を付けた時に絹がすでにあった何よりの証拠である。
 青森のチベツト式発音の数字がついた地名や田の付く地名は2000年昔のものと考えてよい。
 この絹が紅河から西域に運ばれたと考えたいのである。しかもある時期この絹は中国人に奪略されていたのである。
 シルクロードはやはり日本からはじまっていたし、中国で出土の上等の絹は日本産だった。


古事放談  5-8  111頁より引用


私から一言
 「これら全ての占領地に共通した条件は絹だったのである」
急に、この文章が登場します。
 これぐらいの事は、多くの学者が述べて居られると思いますが、「シルクロードはやはり日本からはじまっていたし、中国で出土の上等の絹は日本産だった」という話題は、私は始めて知りました。

絹はシルクロードを経由して、中国から、日本へ伝えられたと思っていました。だから、「シルクロード」と呼ばれるようになったと思っていました。

日本がシルクロードの起点であれば、絹は、日本から中国に伝えられたことになります。正確には、伝えられたのではなくて、優秀な絹が、日本から中国に輸出された事になります。中国では、元々、絹は作られていたのに、日本から輸出される様になったと云うことは、質が良かったのではと考えています。
 この絹は、ヨーロッパに輸出されていたのではと考えています。
  このような資料は、ありません。

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