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第9話 中国人が書いた日本書紀  ※隠された〝漢委奴国王〟の金印 (4)  [日本の歴史]

後漢書は57年に金印を授けたと書いた。金印を授けるだけなら、一々正史に書き残こさなければならないことだろうか。 
 天山山脈のクチャで、漢は94年に1500人もの生口を得たので、107年に生口を僅か160人献じたのに、後漢書にわざわざ載せたのである。
 漢は57年に奴国を属国にするつもりで金印を出したのに、答礼がなかったので怒ったのである。
 王師升をスパイとして面土国 (恐らく宇土市)に潜入させ、日本人を160人捕虜として連行した。日本語の通訳として使用する目的だった筈だ。
 これ以外の目的に中国語が分からない、日本人の用途は考えられない。
 107年に日漢は戦争状態に入ったと解すべきで、倭国大乱と他人事の様な、書き方をせざるを得なかったのである。
 日本国内が7, 80年内乱状態でも後漢書に取上げることがあれば可笑しいと考えるべきではないか。
   


              ― 10 -  より抜粋


私からの一言
① 「これ以外の目的に中国語が分からない、日本人の用途は考えられない」と書かれれば納得できますが、日本の歴史を書くときに、このような発想は、必要ですね。
  日本人には、先ず、中国語を話す人も漢字を読める人もいないでしょうから、

② 「日本人を160人捕虜として連行した」
  この文面には、160と云う数字が入っています。これは中国の資料に有るのでしょう。
   「捕虜」という漢字も、同時に書かれていたのでしょう。そうしませんと、このページの発想は出て来ないと思います。
 
   その根拠として、
「これ以外の目的に中国語が分からない、日本人の用途は考えられない」を挿入してあります。 
僅かな資料と、田村氏の豊かな発想力で、この資料は作成されています。

③ 「漢は57年に奴国を属国にするつもりで金印を出したのに、答礼がなかったので怒ったのである」

③は、田村氏の抜群の発想ですね。 〝漢委奴国王〟の金印は、判子であることは、日本人は知らなかったでしょう。それも、金の塊で出来ていることは、知らなかった筈です。-------だから、-----中国人は、怒っただろうは、田村氏の考えです。

 受け取った日本人は、こんな大きな金のかたまりは見たことがなく、手にして、その重さには、びっくりしたでしょう。

 記事は、答礼が無かったから、怒った。 →  「107年に日漢は戦争状態に入ったと解すべきで、倭国大乱と他人事の様な、書き方をせざるを得なかったのである」

 と、田村氏の重要な、論点になっています。

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