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第9話 中国人が書いた日本書紀   ※ 銅たくの謎 (2) [日本の歴史]

 イザナギの命は古事記では淡海の多賀に移られたと書かれている。
 古代の地名のつけ方は原、山、海等の前に形容詞をつけて、他人に分かり易い様に配慮した。従って淡海とは淡水の海であり、ビワ湖を指していた。
 しかし日本書紀はこれをわざと淡路の多賀と書いて世の中の人を惑わせたのである。別稿で触れるが日本書紀は崇神天皇の時代に日本各地を占領した、漢民族が降服した後に、漢文の才を利用して書かれた本であった。
 絶えず表向きには日人にさとられない様に、惑わす目的で書かれたのである。近江に多賀菅あることを知らぬ筈はないのに、淡路と書いたのである。
 左の近江八幡の当時島だつた所に、多賀、宮内、白王と王の浜の地名が現存している。
 宮内とはこれも古事記で神武天皇が居られた所が同名で登場してくる。政り事をした所であった。
 イザナギの命は白狄人だつたから、白王と称したことも明らかになった。


― 15 -  より抜粋


私からの一言
「左の近江八幡の当時島だつた所」と書いてある様に、1ページ前は、近江八幡市の地図が、掲載してありますが、省略しました。
 王ノ浜、白王町、多賀町、宮内町の漢字に、○印がほどこされています。

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