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第9話 中国人が書いた日本書紀   ※ 銅たくの謎 (4) [日本の歴史]

多賀と白、犬、蛇のつく地名が中山王国の亡命者と縁がありそうだと分かれば、この様な地名が1ヶでなく、かたまって現われる地域を探し出すことである。
 この様な地域から更に相馬とか馬のつく地名が同じく鍵になることが分った。
 多賀城市や茨城県の多賀郡、相馬市と津軽平野の相馬村及び白神山脈とたどって行くと
中山王国の亡命者は東北にも多かったことになる。関東平野には相馬郡が残っている。
 もちろんずばり中山の地名大山屋津山等に出没してくれる。地名こそは歴史であると云わざるを得ないのである。
 中山王国の人達はこの様にして、近江中心と東北中心で拡がって行ったと考えたい。
 前稿で〝日本古代史〟の銅鐸圏と銅矛圏の分布図を引用させていただいた。本稿に54頁に再度載せさせていただいた。
 この銅鐸の中心は近江だった。中山王国では銅たくの中心は近江だった。中山王国では銅たくは14ヶが組で楽器で音階がそろっていた。14ヶ組で近江八幡市の南隣の野洲町で出土していたのである。


― 17 -  より抜粋


私からの一言
 毎日、全国の地図を眺めて居られたのですね。私も、一時、地図ばかり眺めていた時がありました。自然と、いろいろのことを発見出来ました。

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