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第9話 中国人が書いた日本書紀   ※ 最大の古墳数は鳥取県 (3) [日本の歴史]

漢の進駐軍の将軍は、倭面土古国王師升とアイマイに書かれた。107年に生口160人を連行した人間だ。国王でなくて、王師升だった筈だ。
 後漢書は漢の敗戦記録である。如何に上手に敗戦とさとられない様に苦労しして作文したかの裏を読むべきだ。
 師升 (王師升を略) が吉備を占領した緒戦の頃は調子がよかったので吉備最大のしかも漢のしきたりの、最新式古墳を師升は作ってもらった筈である。すなはち吉備の造山の主は師升で年代は150年前と考えたい。
 この古墳の石棺は阿蘇の石で石工まで連れて来たことが分かった。長期戦で勝チ目がない戦争では、後から死ぬもの程古墳もお粗末にする外ない。だんだん旧式になり何れ漢からの石工も死んで、九州の阿蘇から石棺を作って運ぶことも無不可能になった。
 占領地四国の火山石を使用せざるを得なくなったと考えれば、〝吉備古代史の未知を解く〟の、火山石の謎は解けてくれる。


― 23 -  より抜粋


私からの一言
 吉備の古墳が大きい謎の解答の一つが、

「師升 (王師升を略) が吉備を占領した緒戦の頃は調子がよかったので吉備最大のしかも漢のしきたりの、最新式古墳を師升は作ってもらった筈である。すなはち吉備の造山の主は師升で年代は150年前と考えたい」 でしょうか。

「この古墳の石棺は阿蘇の石で石工まで連れて来たことが分かった」 これは、間違いないことです。運んだのは、中国人です。 道中は、日本兵の襲撃にあったはずです。 記録に無い所を見ると、この時は、少なくとも、吉備までの街道沿いは、中国人の天下であった筈です。



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