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第8話 吉備にあった漢の古墳   ※ 日本のあけぼの (3)  [日本の歴史]

恐らく紀元前1000年頃に一隻の皮船が隠岐の島後に漂着しコロニーが形成される。
 皮船はチベットから、川を下って対馬海流と偏西風で隠岐に運ばれたのである。
 日本民族を形成したのは中国に圧迫された民族で、漢民族は居らなかった。
 朝鮮は如何に地理的に近くても、後世帰化人として認められた人以外には日本民族には含まれて居らない。 
 日本人は全てポートピープルである。気概を持った進取の気性に富んだ少数民族だから中国の迫害を受けたのである。
 ポートピープルでも、ベトナムの様に、第三国が介入して同一民族の半分が難民族になったのとは本質的に異っている。
 朝鮮と九州は地理的に近くても、三国史記では5世紀までは、全く交流した様子は、うかがわれない。
 隠岐に次に渡来したのは中国の中山王国からの亡命である。島後のチベット人と反対側にコロニーを作り、その内にチベット人と交流が始った。



― 5 -  より抜粋


私からの一言
① 「恐らく紀元前1000年頃に一隻の皮船が隠岐の島後に漂着しコロニーが形成される。
 皮船はチベットから、川を下って対馬海流と偏西風で隠岐に運ばれたのである」

「恐らく紀元前1000年頃」から始まる記事です。 紀元前後の歴史であっても、なかなか、其頃の様子は分かっていません。
 それなのに、作者は、それよりも、1000年前の様子を書いて居られます。

わざわざ、日本にやって来たのではなくて、中国人で、漂着したのだと書いて居られます。
そんなに上手く、中国から漂着するものでしょうか。 
心配要りません。「 皮船はチベットから、川を下って対馬海流と偏西風で隠岐に運ばれたのである」と書いて居られます。
 これは、想像だけでは無くて、実験した人が居られて、4日で、日本に到着するそうです。 そんな実験は誰がされたのかと云うのは、私の記憶から無くなっています。
見付かりましたら、後日、掲載しようと思います。
② 簡単に日本へ来ることが出来る話を紹介した、次に、
  「隠岐に次に渡来したのは中国の中山王国からの亡命である」

 中山王国は、確か北京のすこし、南にあった国だったと思います。
 
参考文献
中山国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%9B%BD

この中山国と私が、このページで書きました中山王国と同じ国かは、随分時間は、掛けたのですが、よう、調べていません。

皮船の写真ハネットで検索しますと、一枚だけ表示されています。 しかし、船は一人乗りですが、大きいです。

田村氏の著書 第8話 吉備にあった漢の古墳 20ページに掲載されている写真は、二枚で、一枚は、 一人で、 一人で担いでいる写真です。牛皮舟と書かれ、柳の木で組み、牛皮を四枚縫って船体をすっぽり包む。舟は科類が、1500キロの物が積めると記されています。
 もう一枚の写真は、ヤルツァンホ江の牛皮舟 美乃美社 (チベットより)
と記されています。 この写真は、三人が乗っている写真です。
この舟は、現在でも、使われていて、一般的である。 34000年昔も同じ筈であると田村氏は、書いておられます。
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