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日本のあけぼの(8) [日本の歴史]

漢は20万程度の水軍を日本攻撃に使用しただろう。しかし瀬戸内海沿岸はまだ稲作が始って居らなかった。 
食糧を占領地で略奪する中国の戦術が日本では通用しなかった。さりとて支那海を手こぎの船で本国に引揚げられなかったのである。
中国から僅かづつ食糧の補給を受ける外なかったのが長期戦が何十年も続いた理由である。同時に佐賀平野で自給するための稲作まで始めたのである。
おひただしい漢の銅鏡は日本人が欲しくて入手したものではない。漢の兵隊が死ねば、1人1枚づつ墓に入れてやった。
師升等の漢の将軍は吉備で死んだので、漢の最新式の前方後円墓が吉備に残った。
九州の北部は漢軍の中継基地であり、食糧の補給基地だった。一つの古墳に漢の銅鏡が20枚、30枚と入りられたり、佐賀平野の古墳が1枚ずつ埋葬されたのが理由である。
日本人の古墳で銅鏡が出土すれば手柄を立てた証拠として埋めた筈である。銅鏡は戦死者が多くなって足りなくなった。

一言----こんなにシンプルでいいのかという気がしますが、これは、最高だと思います。歴史学は、あのりにも学問的になり過ぎています
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