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日本のあけぼの(9) [日本の歴史]

お粗末な国産の銅鏡が作られた背景にはこんな事情があったのである。
そのうちに銅が足りなくなって小型の銅鏡にせざるを得なくなった。180年頃には本国の漢が衰亡しつつあったので銅の補給まで絶えたのである。
 188年に漢国でスペイン風邪が猛威をふるい日本には漢の補給船で伝染した。大和にまでも流行し人民の大半が死んだのである。
 漢の占領軍はスペイン風邪で全滅にひんし190年孝霊天皇の御代に降伏した。卑弥呼を共立し倭国大乱が収まったと誤魔化した。
 崇神天皇の御代に漢の再来襲に備えて、瀬戸内海から紀州の海岸に高地性集落を築いたのである。同時に吉備上道国に7万戸、下道国に5万戸の屯田兵を配備した。
 これ以後は魏志倭人伝によって別稿で説明を加えておいた。
 朝鮮総督と魏の将軍が240年に詳さに倭国の軍備を視察した報告が魏志和人伝である。
 日本に絶えず中国から占領目標にされる位恵まれた環境だつたのである。


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私からの一言
 ①「お粗末な国産の銅鏡が作られた背景にはこんな事情があったのである」
  銅鏡は、日本では随分たくさん見つかっています。それ故に、銅鐸の分布状況から、いろいろのことが解りますし、個別でも、中国から入ってきた銅鐸と日本で作られた銅鐸との間には、違いが見つかって、詳しいことが解っています。
 以下の文章が、その様子を記しておられます。

②「188年に漢国でスペイン風邪が猛威をふるい日本には漢の補給船で伝染した。大和にまでも流行し人民の大半が死んだのである」

 著者は、世界史まで導入して、日本史の補強をしておられます。スペイン風邪は世界的規模であったことは、日本史に取り込んでも良いかもしれません。

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