So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

日本語のふるさと(3) [日本の歴史]

日本の中国との交通に関しては、魏志倭人伝を注意して読むことである。魏の都とは、3500キロ位離れている。
久米国から攻撃を受けると早速、指図を仰ぎに、朝鮮まで行きそれから使者が魏の都に行った。すぐに軍使が日本まで飛んで来たのである。
 書かれているだけでも公式訪問が2年に一度位、お互いにやっているではないか。
 明治時代までの京と江戸位の旅行感覚だったのである。水さかづきして行き来したから日本国内の方が危険度は高かったかも知れない。
 魏の軍使が248年頃命からから逃げ帰ってから425年まで国交断絶した。この間に日本人は航海術を忘れてしまった。
 船が壊れるとますます丈夫にして重くしたのが間違いだった。これでは手でこいでも進む筈はなかったのである。
 皮船に一人乗って居れば、これ位安全なことはない。しかも手でこげば船は進むし、風も利用できたのである。


        ------  15  ---  より引用

私からの一言
 「魏の軍使が248年頃命からから逃げ帰ってから425年まで国交断絶した。この間に日本人は航海術を忘れてしまった」
このようなことは、どこの資料にも書かれていなくて、150年間も歴史が抜けているので、田村誠一氏が想像して、穴埋をされたのでしょう。
nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。