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百歳まで生きるぞ その33 [思うままに]

素人の考えで、判断するのは良くありませんが、

ネットで、「胸が痛くなる」を検索語にしてグーグルで検索しますと、一杯、ヒットします。
 この検索語だけでは、一杯の病気が考えられるために、沢山、読んで見ました。
胸の痛み
https://www.toyota-mh.jp/kenkou/muneitami.php

私の症状に、一番よく当てはまる記事は、上の記事だったと思われます。

胸が痛いと云うことは、胸の中にある臓器のどれかが、痛いという信号を発していることになります。

では、胸とは、どの部分を言うかと言いますと、正確ではありませんが、お臍(へそ)のある部分は、お腹です。 この部分より、上の部分より首の手前までが、胸になります。これは、身体から上着を取り除いたときの表現です。

 この皮膚の部分の中の部分は、空洞になっています。上の部分は、胸腔(きょうくう)、下の部分は、腹腔と呼ばれています。

胸腔(きょうくう・きょうこう、英: thoracic cavity, chest cavity)は、胸壁肋骨・胸椎・胸骨・横隔膜によって囲まれた空間。内部に心臓・肺・大動脈・食道などがあり、人体(や他の動物の体)の空間で、さらに縦隔で左右に分離されている。

以上の事から、「胸が痛い」時は、 上記のうち、
胸壁肋骨・胸椎・胸骨・横隔膜 と 心臓・肺・大動脈・食道 のうち、何処かが、痛みの発信地となります。

しかし、
胸の痛み
https://www.toyota-mh.jp/kenkou/muneitami.php

 では、次のタイトルから始まっています。
「狭心症」と「心筋梗塞」の違いは?

と云うことは、「胸の痛み」と言えば、狭心症か、心筋梗塞と云っても良いほど、この病気が多いと云うことで、死亡する危険があることだと、私は考えました。


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記紀(7) - 日留山人 - [日本の歴史]

日本の古代史を、わたしは地名をたよりに考えて来た。しかも地名の一つを取上げるのではなくて、地名のパターンを考えて来た。
 古事記や日本書紀に、2000年昔の地名が出てくる以上、この時代に人が多く住んだ所には地名があったと考えてよいだろう。
 最近津軽平野から、1900年の昔の、水田跡が見付かった。
 わたしはこの平野にも、神武天皇が、稲作民を、雲南から、計画的に入植させてきたと述べて来たのである。
 わたしの根拠は、この十三潟に福浦の地名があったことである。しかも潟すなはちデルタ地帯であった。
 次には、田の着く地名の村が実に8ケと稲垣村が、津軽平野にあったのである。
 神武天皇が計画移民をされたと、推理した。
この天皇は実在した根拠は、古事記だけに書かれた、青春時代の地名が、全て現存していたのが根拠である。
 古事記を正史とする理由の一つである。



 第13話 建国の日は正しかった  91ページ より 引用。


私からの一言
 津軽平野にある僅かの地名を記しておられますが、是非、皆さんも地図を広げて、
地名探しをしてください。





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百歳まで生きるぞ その32 [思うままに]

前回、
「胸が痛くて、次第に首が締め付けられるような気がしました。おかしなもので、ああ、これは夢だなと思っていたら、目が覚めました」という、症状の病気のことを書きました。
 このような病気は、どんな病気かと云うことになりますが、この文章ぜんぶを入力しても病名は見つかりません。

 この病気の特徴は、お腹では無くて、胸の辺りが痛いのです。胸のあたりにある臓器は、メインは、肺と心臓になります。しかし、臓器だけでは無くて、その臓器に送っている血液の通り道は、血管になります。心臓も杯も動いています。その命令を出すのは、脳ですが、その脳と、臓器は、神経によって、結ばれています。
 このようなことをすべて、知って、役立てている人は、医師と云うことになります。この医師になる為には、最低、6年間、大学という所で、勉強しなければ、すべてを理解することは出来ません。

 上に、肺、心臓、血液、血管という言葉を並べて、「胸が痛いときは、何処が痛いのか」を知る為に、その候補を挙げて見ました。

この内、痛みを感じるのは、「肺、心臓、血管」のどれかと云うことになります。

症状は、
1、胸から首にかけて痛い。
2、多くは、痛みは、きついように思われます。(歩けないほど、痛いときもあります)
3. しばらく、辛抱していると治ることが多い。
4・軽い症状で、再発することが多い。
 

ネットで検索する時は、「胸が痛い」で検索しますと、一杯出ます。 「ニトロ」を付け加えますと、心筋梗塞と狭心症に絞られてしまいます。

この二つは、最悪の場合は、死ぬことがありますと書いてあります。

心臓の病気について
http://yotsuba-heart.jp/department/circulatory_diseases/heart_disease.html

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記紀(6) - 日留山人 - [日本の歴史]

〝卑弥呼の墓だった箸墓〟に、古事記と日本書紀では、天皇家の系図が、異っていたと、述べておいた。
 系図が異なる位おかしな話が、正史にあってよいものだろうか。
 古事記では開化天皇には妹がなかった。しかし日本書紀には、開化天皇に、妹があった様に書かれている。
 この創作された妹が、神話化されて、自殺している。更に、この創作された妹が、現存する巨大古墳箸墓の主となっている。
 今一つ、この箸墓は昼は人が作り、夜は神が作るとまで、神話化されている。
 なぜ250年代にまで、日本書紀に限って神話を登場させなければならないのか。
 今述べた日本書紀の記事は、古事記には、全く書かれてない。
 古事記だけに、崇神天皇の妹が、伊勢大神宮を拝き祭ったと書かれている。この伊勢大神宮は、丹波の大江山の麓に、これも現存している。
 記紀の言葉は、ミソとクソのミックスだ。


第13話 建国の日は正しかった  90ページ より 引用。


私からの一言
 「この伊勢大神宮は、丹波の大江山の麓に、これも現存している」
この文章を読んで、そんな馬鹿なと思いました。私は大阪在住ですので、車で行ってきました。
伊勢大神宮は、三重県の伊勢と思います。が、「丹波の大江山の麓」と書いてありますので、車で行きました。
 この頃は、若かったので、奈良、和歌山、蒜山でも、車で行きました。
(この文章の作者は、日留山人ですが、きっと、ヒルゼン高原に住んで居られたのだと思います)

昔の人は、どこへ行くにも、歩いて行きました。
この部分のことを身体で知る為には、ただ、行くだけでは無くて、出来れば歩いて行きたい所です。
 北海道の方でも、大阪までは、飛行機で来られて、レンターカーで、「丹波の大江山の麓」まで、行かれますと、私と同じ条件になります。

「記紀」が出来たころは、710~720年の頃になります。
「丹波の大江山の麓」に、伊勢大神宮があるという情報が、日本中であったと考えて良いと思います。
私の場合は、車は、直ぐに、高速に乗り、時速、100キロで走っていました。今では、このスピードは、怖くて運転することは出来ません。
 出来れば、地道で、しかも、昔の街道を走って貰いますと、違った歴史を知ることが出来ると思います。


参考に------ミソとクソのミックスだ。
 味噌も糞も一緒
https://www.weblio.jp/content/%E5%91%B3%E5%99%8C%E3%82%82%E7%B3%9E%E3%82%82%E4%B8%80%E7%B7%92

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百歳まで生きるぞ その31 [思うままに]

少し、書くことを休んでいましたら、百歳どころか、90歳も無理になる様な事が起こりました。

 3日前の9月25日のことです。胸が痛くて、次第に首が締め付けられるような気がしました。おかしなもので、ああ、これは夢だなと思っていたら、目が覚めました。
 このような時のために、わが家では、どこで発作がおこっても良い様に、風呂場以外は、トイレであれ、どの部屋で発作が起きても良い様に、寝室では、目が覚めた時に手が届く所に、心臓用の「ニトロダームTTS」という貼付薬を置いています。
 この薬は、効いてくるのに、時間がかかりますので、スプレがあるのですが、これは、一本しか無くて、何処に有るのか、不明です(私が忘れています)。 と、家内に保管場所を聞きましたら、何時も寝ている枕元の手の届く所にあります。 発作の時は、自分でしないで、起こすようにと叱られました。


 昨年10月に、京都の町を家内と散策していましたら、胸が痛くて歩けなくなりました。
タクシーで、近くの病院まで行こうと、待っていましたが、タクシーはやってくる気配が無いので、大通りまで歩こうと歩き始めました。 少し歩きましたが、これは死んでしまうなと思い、歩道で、しゃがんでいますと、少しずつ、痛みはマシになって来ました。そこで、大通りまで、歩き始めました。
  痛みが、楽になった所で、タクシーが見付かり、始めは、近くの病院にお願いしますと、行き先を言っていましたが、大分楽になって来ましたので、帰宅を決心して、近くの電車の停留所で下車しました。

と云う次第で、頻繁に起こっていた狭心症の発作は、一年ぶりに起こったことになります。
 
 その後、3ヶ月毎に、診察を受けています。最近の血液検査では、少しコレステロールの数値が、高いぐらいですねと云われた所でした。(悪い所は無いと)

この症状が起こる病気はご存じですか。

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記紀(5)  - 日留山人 - [日本の歴史]

神武東征に関する記述は、アベコベに日本書紀は古事記の数倍に達する。この中で重要なニギハヤヒの命について、日本書紀は、300字以上費している。しかるに古事記では僅か40字である。
 古事記には吉備征伐は書かれている。(これこそ吉備王国と云われて来た国を征伐したのである) しかし日本書紀には全く載せてないのである。
 四道に将軍を派遣したと解説されて来た。しかしこの重要なことも古事記と全く異なるのである。
 日本書紀では崇神天皇の時に、海外の賊が各地で騒動を起こしたと書かれている。ある年には降服した人があったと書かれている。
 又別の年には本国に復員して行った人があったとまで書かれている。
 日本が外国軍隊に占領されていたことが、日本書紀には明記されているのに、古事記には一字もこのことは書かれて居らない。
 奈良に現存する箸墓は日本書紀にあって、古事記には書かれて居らない。


第13話 建国の日は正しかった  89ページ より 引用。


私からの一言
 このページでは、日留山人氏は、古事記に書かれている記事が、日本書紀では書かれていない。逆に、「奈良に現存する箸墓は日本書紀にあって、古事記には書かれて居らない」と記して居られます。
 同じ、日本の歴史を表した古事記と日本書紀は、同じ頃に書かれたのに、作者が違うのだと書いて居られる様に、思われます。

可笑しいですね。 作者は書いていませんが、

日本書紀は、漢人が書いたのではないかとの問いかけでしょうか。

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記紀(4)  - 日留山人 - [日本の歴史]

記紀に共通事項のない一つに、年代がある年代が書かれたのは、日本書紀だけである。
しかも年代は、中国式の「エト」で書かれている。
 ここにも日本書紀が、中国人によって、書かれた根拠がある。
 日本書紀は、720年に書かれたのに、700年昔の年代をエトで知り得る根拠は、全くない。
 しかるにこのエトが日本書紀だけに書かれている。古事記と日本書紀の共通の、原典はあっては、この様なことは起こらない。
 古事記には、神武天皇の青春時代について漢字にして、約600字書かれている。しかし、日本書紀には、一言も書いてない。
 参考までに、魏氏倭人伝は、2000字である。従って600字は、相当のボリュームではないか。
 ここにも、古事記と日本書紀は、全くの無縁の根拠がある。 神武天皇の青春時代の地名は、既に述べた様に、全て鳥取県西伯郡に、現存している。



第13話 建国の日は正しかった  88ページ より 引用。


私からの一言
 古事記は、 712年に完成。
 日本書紀は、720年に完成。

 日本書紀は、日本の正史とされています。 一方、古事記は、正史とはされていませんが、序文に当たる所に書かれた文章から推察しますと、天武天皇が、古事記の編纂を考えられたことになっています。
 そうしますと、日本の正史と捉えても良いように思われます。そうしますと、古事記が完成して、いつから、日本書紀の編纂を考えたかは判りませんが、古事記完成後、八年後に、日本書紀が完成したことになります。

「記紀」シリーズの4回目までで、気になる所を、日留山人氏は、古事記と異なる点を指摘して居られます。

 日本書紀は、古事記に書かれていることが、不備な点があるので、直ぐに、書き改めようとして、作られたのではないかと、日留山人氏は思われたのでしょうか。

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記紀(3)  - 日留山人 - [日本の歴史]

 古事記が書かれたのは、712年である。宮中で古事記が、内密に作成されたのを、漢人が知って、自己宣伝用に、日本書紀を、720年に書上げたのではないだろうか。
 日本書紀を書いた漢氏は、名前は表面に出て居らない。ウラで色々作略することが、考えられてよいだろう。
 むしろ謀略の書であり、偽書なら、このやり方が常識である。
 古事記と日本書紀に、一致点が、全く見当たらない以上、日本書紀は一般のうわさを主にして書いたとしか、考え様がない。
 うわさとなれば、何天皇の時に、どんな出来事があったと、語り継がれる。
 従って、発生の順序通り、語り継がれるとは、限らない。既に述べたが、崇神天皇の、御世の出来事は、順序不同である。
 書かれた原本があれば、この様なことは、起こらない。
 天皇の年令が、古事記と日本書紀で、全く異なっているのは、推測で書かれたとしか、考え様のないことだ。


第13話 建国の日は正しかった  87ページ より 引用。


私からの一言
① タイトルは 「記紀」の3回目です。
 なのに、
「むしろ謀略の書であり、偽書なら、このやり方が常識である」の穏やかならざる文章です。

②「日本書紀を書いた漢氏は、名前は表面に出て居らない。ウラで色々作略することが、考えられてよいだろう」
 日本書紀を書いたのは、「漢氏」であったのはご存じでしたか。確か、このようなことをずばり、書いた本はなかったように思います。
 この推察の根拠は、「宮中で古事記が、内密に作成されたのを、漢人が知って、自己宣伝用に、日本書紀を、720年に書上げたのではないだろうか」です。


古事記が完成したのは、712年です。 日本書紀が完成したのは、720年です。

「記紀」は、深く考えないで、読みますと、両方と、日本の歴史を書いたものです。
古事記を書くに至った経緯が、「序を併せたり」に書かれています。

古事記原文
臣安萬侶言。夫、混元既凝、氣象未效、無名無爲、誰知其形。然、乾坤初分、參神作造化之首、陰陽斯開、二靈爲群品之祖。所以、出入幽顯、日月彰於洗目、浮沈海水、神祇呈於滌身。故、太素杳冥、因本教而識孕土產嶋之時、元始綿邈、頼先聖而察生神立人之世。寔知、懸鏡吐珠而百王相續、喫劒切蛇、以萬神蕃息與。議安河而平天下、論小濱而淸國土。

 (中省略)
曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世、濳龍體元、洊雷應期。開夢歌而相纂業、投夜水而知承基。然、天時未臻、蝉蛻於南山、人事共給、虎步於東國、皇輿忽駕、淩渡山川、六師雷震、三軍電逝、杖矛擧威、猛士烟起、絳旗耀兵、凶徒瓦解、

「濳龍體元」の部分は、倉野憲司校注の古事記では、「天子たるべき徳を持って隠れていたが・・・」と書いてありますが、隠れていた龍は、天皇のこととしておられます。
 天皇は隠れておられたのではなくて、「曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世」と書いてある様に、即位をされたのでしょう。

「濳龍體元」に書かれている「龍」とは、中国人のことでしょう。
以下の文章は、私にとっては、倉野氏の翻訳文を読んでいても難解です。

この文章を書いたのは、太朝臣安萬侶で、712年の時代の人の文章です。

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長生きをする為に大切なこと その5 [思うままに]

忘れていましたが、毎日、していることが有ります。

毎日、牛乳を飲むこととヨーグルトを食べることです。 これは、確か、牛乳屋さんの訪問販売で薦められたからでしょうか。

 しかし、当初は数日で止めて、 時々、購入して、牛乳は飲むようになりました。
ヨーグルトは、あの味というか、臭いは馴染めず、長続きはしませんでしたが、「100歳まで生きるぞ」と決心してから、4つほど、買って、冷蔵庫に入れて、見えやすい所に置いています。
 毎日ではありませんが、最近は卵も積極的に食べるようにしています。

 牛乳と卵は、生きて行く上で、必要なものは全て、含まれているからではないかと考えてです。
 何故、そのように考えるかと言いますと、卵は、一つの卵から、鶏が生まれるからです。
牛乳は、あれを飲むだけで、生れたばかりの牛は、牛に育つからです。その牛乳を人間が飲んで大丈夫かといいますと、本当のことは解かりません。 卵も人間が食べても大丈夫ですが、あまり沢山食べては、駄目なのではないでしょうか。
 人間は不思議ですね。
 牛乳も飲むし、鳥の肉も食べるし、牛の肉も食べます。 でも、中には身体に合わない人も居られるのでしょうね。 その時は、ちゃんと、下痢をして出す様になっています。

このように考えると、人間が、地球上で、他の動物を制覇した理由の一つが分ります。


しかし、世の中には、アマノジャクの方が居られまして、次のようなことを書いて居られる方が、居られます。

「ヨーグルトは身体に良い」はウソだった!?
https://diamond.jp/articles/-/96173?page=2


と書いたものの、まだ、読んでいません。 読んで、「ヨーグルトは身体に良くない」と書いてあれば、止めることにします。

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記紀(2)  - 日留山人 - [日本の歴史]

 門前の小僧、習わぬお教えを読む、いろはかるたの文句である。わたし達は小学5年の時には、交替で授業の前に、教育勅語を暗誦させられたものである。
 天皇も神武天皇から明治まで間違いなく云えたものだ。どんな漢字を書くのかは、全く知らなかったのである。
 恐らく古事記を口述した、ヒエダアレも、漢字は知らなくて、しゃべった筈である。漢字を知っていることと、文章を覚えていることは別問題だ。
 神父さんだったら、古事記の数倍のボリュームの聖書の文句を覚えておられるだろう。
 古事記は暗誦しやすい文章である。しかし日本書紀は最初から、紙の上に書かれた形式である。
 古事記はわざわざ語り部のヒエダノアレの、口述を文章にしたことは、間違いない。
 なぜ語り部によらなければ、古事記は書けなかったかを、論じた本があるだろうか。
 やはり帝紀や旧辞には、一行も、真実が書かれてなかったためと解したい。


第13話 建国の日は正しかった  86ページ より 引用。


私からの一言
 このページは、原文の説明は必要無いと思われます。

前回の「絹戦争」は、中国と日本が戦争状態に有りましたが、「戦争」という言葉を使った記録は有りませんので、日留山氏は、中国人が、日本のあちこちに絹を製造した所を地名などから推理して、17回に分けて書かれました。

もう一度、私のいい加減な説明は、飛ばして、「絹戦争」の本文だけを読んで頂きますと、中国が、日本人に絹の作り方を教えたのではなく、自分達が、絹を作る拠点を設けた様子が、浮かび上がると思います。
 中国人が作った絹は、中国で作られた絹よりも、質が良かったのでしょうか。シルクロードを介して、ユダヤ人が、ヨーロッパまで輸出した歴史を、日留山氏は書いておられます。

全く、話題は変りますが、 次の著書には、ある時から、輸入されていた絹の製品が、悪くなったことが記されています。
 著――エルネスト・パリゼー
 訳――渡辺轄二氏
 解説――布目順郎
 
文面からは、フランスへの絹は、中国から輸入されていた様ですが、フランスへは、日本から購入した日本の絹を輸出していたのではないかと、私は推察しました。

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