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記紀(14)  - 日留山氏 ― [日本の歴史]

大国村の北隣りが天津村(健在西伯町)である。北京の外港が天津である。この都と外港の地名のつけ方も、地名のパターンである。
 この時の根の国の都は大国村倭だった。地名は歴史である。
 この地名のパターンは、伊都国(丹波大江山付近)にも見付かる。ここは魏志倭人伝に書かれた所で、天津と勅使の地名が、残っている。
 さて外国から日本には日向浦に来て、ここで小舟に乗り換え、天津に上陸した。ここから御机を通って、三平山の内海峠にくるのが古代のルートである。
 内海峠からはヒルゼン高天原には、川を下ることになる。この川の名前が天谷川である。
 天谷川を下って、高天原に、来るのであれば、天より降ったと、書かれて当然である。
 天より降ったとは、書かれて当然である。
 天より降ったとは、日向浦から来たことだ。
 天津村の近くに、三崎があり、安曇の集落がある。安曇とは日本の古代の水軍部隊で、海がここまで、入りこんでいた証拠である。
 根の国とは干潟が根の形をしていたことだ。



第13話 建国の日は正しかった  100ページ より 引用

私からの一言----
 この地名の分析は、如何ですか。
地名のことを書いた本は、沢山ありますが、上記のように書かれた本は、少ないのではないでしょうか。
 間違いないことは、必ず、その場所に行って、歩かれたのだと思います。歩きますと、必ず、住民の方と出会い、お話することになりますが、日留山氏はしゃべらなくても、皆さん、村の歴史や自慢話をされて、日留山氏がわくわくしながら、聞いて居られる姿が目に浮かびます。



地名のことを書いた本
https://www.amazon.co.jp/%E5%9C%B0%E5%90%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80%E6%96%B9%E6%B3%95%E2%80%95%E5%9C%B0%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%94%B1%E6%9D%A5%E3%81%AB%E7%A7%98%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%84%8F%E5%A4%96%E3%81%AA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2-KAWADE%E5%A4%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%AD%A6%E5%85%89-%E8%AA%A0/dp/4309501656

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記紀(13)  - 日留山氏 ― [日本の歴史]

地名について、今少し道草を許して欲しい。
三平山の峠の北に、鬼女台(キメンタイ)がある。地名に鬼がつけば考えて見ることだ。
 黄泉国からイザナミの命と鬼が1500人イザナギの命を追跡したと書かれている。
 鬼女台の女とは、イザナミの命と考えれば、鬼と女のことだった。鬼の女ではなかった。
 鬼女台のすぐ北に、見返峠がある。天孫降臨の時にヒルゼンから、ここまで明ツ神が上って来た。したがって、川の名は明連川である。
 見返峠で神々はヒルゼンに別れをつげたのである。ここからヒルゼンが最後に見える峠である。
 ここから「ツクシのヒムカの高千穂」に降られた。「ツクシ」とは「木尽し」のことだった。高千穂は大栄町だが、ここも丘であって、「クシフルタケ」と書かれた。
 「タケ」とは山のことだ。平地に山があれば、クシフルすなはち、珍しいと解すべきだ。
 平地には珍しい山になった、木がはえてない高千穂と解釈すべきである。ここからの大山の眺めは文字通り高千穂である。


 第13話 建国の日は正しかった  99ページ より 引用

私からの一言----
日留山氏の道草 いかがでしたか。

地図を開いて、「三平山の峠の北に、鬼女台(キメンタイ)がある。
この事が本当かどうかを、確認してください。

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