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神武天皇を祭祀する神社一覧 京都 [日本の歴史]

京都」 6件

①向日神社  府社 向日市向日町北山63番地
 TEL 075-921-0217
延喜式』(927年成立)の神名帳に「向神社」と記載されており、本殿は、應永25年(1418)に建造されたもので、室町時代の建築様式の『三間社流造』といい、国の重要文化財にも指定されています。
http://www.muko-kankou.jp/map/detail.html?id=31

②許波多神社 京都府宇治市五ヶ庄古川13 郷社
社伝では、大化元年(645年)、蘇我倉山田石川麻呂の奏上により、孝徳天皇が中臣鎌足に命じて木幡荘に皇祖を祀る神殿を造営させたのに始まると伝えられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E6%B3%A2%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE#五ヶ庄の許波多神社
道相神社  郷社 京都府南丹市美山町宮脇ヒノ谷43-1
社伝によると、
允恭天皇の第一皇子・木梨軽皇子(軽野皇子)が丹波国桑田郡の幽谷河内谷に潜居し、
さらに軽野より板橋に遷って一祠を創建したのが当社の起り。
http://www.genbu.net/data/tanba/douso_title.htm

③石座神社
京都府京都市左京区岩倉上蔵町302
旧社格は村社。
https://ja.wikipedia.org/wiki/石座神社_(京都市)

④若宮神社  亀岡市河原林町勝林島大渕4
創祀時期は不明。
勝林島地区の氏神様です。現在の集落は神社から離れた場所にありますが、かつては神社周辺に民家が集まっていたようです。美しく圃場整備された田園地帯の中に鎮座し、長い馬場と背後の竹林が往古の姿を留めているようでした。
http://kuchitanshrine.my.coocan.jp/syourinjimawakamiya.html

⑤朝日神社 竹野郡網野町 浅茂川小字東小路鎮座
 祭神 天之御中主命・神日本磐余毘古命(神武天皇)・須佐之男命・稚産霊神・菅原道真
https://yaokami.jp/1261320/

⑥道相神社  郷社 京都府南丹市美山町宮脇ヒノ谷43-1
社伝によると、
允恭天皇の第一皇子・木梨軽皇子(軽野皇子)が丹波国桑田郡の幽谷河内谷に潜居し、
さらに軽野より板橋に遷って一祠を創建したのが当社の起り。
http://www.genbu.net/data/tanba/douso_title.htm



「参考」神武天皇を祀った神社 --三重・大阪・京都
http://o-mino.la.coocan.jp/page323.html

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資料室 [日本の歴史]

http://o-mino.la.coocan.jp/page184.html 

私の資料室を作ったのを忘れていました。 ここの「16」をクリックしますと、神武天皇を祀った神社に移動できます。

 こちらは、簡単な資料です。 前回は、奈良県だけを詳しく調べた結果です。

熊本県の件数が多いです。どうして多いかは、歴史の専門家でも、考えた方はおられないと思います。(もっとも、私も調べていません) もし、解かりましたら、教えて下さい。


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神武天皇を祭祀する神社一覧 [日本の歴史]

「奈良県」  8件

1・ 橿原神宮 奈良県橿原市久米町934  TEL 0744-22-3271  FAX:0744-24-7720
http://www.kashiharajingu.or.jp/ 

2・ 玉置神社 奈良県吉野郡十津川村玉置川1番地  TEL 0746-64-0500 FAX 0746-64-0429 神日本磐余彦尊 
https://www.google.co.jp/search?source=hp&ei=4tY_W_qDPcj0hwOk0qWoAg&q=%E7%8E%89%E7%BD%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%E5%A5%88%E8%89%AF&oq=%E7%8E%89%E7%BD%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE&gs_l=psy-ab.1.2.0i131k1j0l7.1683.1683.0.4044.1.1.0.0.0.0.175.175.0j1.1.0....0...1c.1.64.psy-ab..0.1.173....0.6AW4lGoPylc&npsic=0&rflfq=1&rlha=0&rllag=33927220,135828218,315&tbm=lcl&rldimm=17144649973215201453&ved=0ahUKEwjn8b_nrYvcAhXPaN4KHX4fCKUQvS4IPjAB&rldoc=1&tbs=lrf:!2m1!1e2!3sIAE,lf:1,lf_ui:1#rldoc=1&rlfi=hd:;si:,33.916222427337956,135.82550086031506;mv:!1m3!1d4897.145422303707!2d135.82608236532496!3d33.92193107722283!3m2!1i571!2i568!4f13.1&spf=1530910297592
郷社

3・ 若桜神社 奈良県桜井市大字西浦344
http://www.genbu.net/data/yamato/wakasakura2_title.htm
本殿内には、大正まで当社東の小祠に祀られていた
神武天皇を祀る多神社が合祀されている。

4・ 大久保神社 旧村社  奈良県橿原市大久保町内垣内245
http://koshaji.blog.jp/archives/30337872.html

5・ 磐余神社 奈良県橿原市中曽司町521
http://www.7kamado.net/iware.html

6・ 神武天皇社 掖上   奈良県御所市柏原246
https://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/0f15ecfc3677f0a0d3dd26c73f89b4b1

7・ 十八神社 奈良県宇陀市榛原町額井614 
http://kamnavi.jp/as/uda/nukai18.htm

8・ 野口神社 奈良県御所市蛇穴540
http://yamatotk.web.fc2.com/katuragi/nogutijinjya.htm

1以外の神社は、昭和15年に内務省が、神武天皇をまつった神社を調べた時の結果を掲載したものです。
1は、今回、私が検索して発見した神社です。(橿原神宮)
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天皇の実在説は何代天皇からか [日本の歴史]

 次の資料をご覧ください。

天皇の一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7#第10代崇神天皇以降を実在とする説

ウィキペディアによると、歴代天皇は次のようにして定められたことになります。
歴代天皇を確定するための基準が定まったのは、大正時代末期のことである。このとき示された基準によって、「歴代天皇は125代、123人。」という現在の歴代天皇の形が確定している。
 ここに書かれた歴代天皇の実在性が記されています。

• 2 初期天皇の実在性
o 2.1 初代神武天皇以降を実在とする説
o 2.2 第10代崇神天皇以降を実在とする説
o 2.3 第15代応神天皇以降を実在とする説
o 2.4 第26代継体天皇以降を実在とする説

2.1初代神武天皇以降を実在する説を採用しますと、歴代天皇は、すべて、実在すると言うことです。
2.2 第10代崇神天皇以降を実在とする説が正しいとしますと、神武天皇から、9代の開化天皇までは、実在しない天皇で、崇神天皇以降は実在する天皇と言うことになります。

多くの説があることは判りましたが、どの説が正しいのでしょうか。

私は 上記のどの説でもなく、初代から10代までは、全員、実在しないという説を読んだ記憶がありますが、確かめたことはありません。

一度、アタックして、どの説が正しいかを解明して戴ければと思います。

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卑弥呼 邪馬台国 匈奴 [日本の歴史]

タイトルの三つの言葉は、歴史上に登場する言葉のうち、気になった言葉です。

卑弥呼(ひみこ、生年不明 - 247年あるいは248年頃)は、『魏志倭人伝』等の中国の史書に記されている倭国の王(女王)。邪馬台国に都をおいていたとされる。封号は親魏倭王。

邪馬台国(やまたいこく / やまとこく)は、2世紀~3世紀に日本列島に存在したとされる国(くに)のひとつ。邪馬台国は倭女王卑弥呼の宮室があった女王国であり、倭国連合の都があったと解されている。古くから大和国(やまとこく)の音訳として認知されていたが[注釈 1]、江戸時代に新井白石が通詞今村英生の発音する当時の中国語に基づき音読した[注釈 2]、ことから(やまたいこく)の読み方が広まった。

匈奴(きょうど、拼音: Xiōngnú)は、紀元前4世紀頃から5世紀にかけて中央ユーラシアに存在した遊牧民族および、それが中核になって興した遊牧国家(紀元前209年 - 93年)。

以上の件は、ウィキペディアより借用しました。

三つの言葉に使われている「卑」と「匈」と「邪」の漢字には、次の意味が有りますが、中国以外に使われている国を表す時に、意味が良く無い漢字が使われています。

「卑」---①ひくい。いやしい。(ア)地位や身分が低い。「卑賤(ヒセン)」「尊卑」(イ)心がいやしい。下品な。「卑屈」「卑俗」 ②いやしめる。さげすむ。

「匈」---わるい。おそれる。=兇  匈牙利(ハンガリー)

「邪」---①よこしま。正しくない。心がねじけている。「邪悪」「邪道」 ②人に害を及ぼすもの。

日本の場合は、「倭」が使われました。

ハンガリーは、漢字表記では洪牙利で、洪と略される。中国語では、ハンガリーのフン族語源説が伝えられて以降、フン族と同族といわれる匈奴から、匈牙利と表記するようになった。


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日本はどうして「倭」と呼ばれたか その4  おまけ号 [日本の歴史]

 前回、その3 に置いて、私の頭は、元に戻ってしまいましたので、これ以上続けても、堂々巡りですので、お仕舞いのつもりでした。

少し読み返して見ましたら、「倭・倭人関連の中国文献 」を書いています。

倭・倭人関連の中国文献  
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE
1.論衡  2.山海経  3.漢書  4.後漢書  5.魏志倭人伝  6.晋書  7.宋書
8.南斉書  9. 梁職貢図  10. 梁書  11.北史  12. 南史  13. 隋書.
14. 旧唐書  15. 新唐書  16. 通典  17. その他の文献

以上、厖大な資料が、中国に残されています。

これらの中国の文献には、倭・倭人に関することが記されています。ということは、中国では、日本のことは、「倭」という名前で、呼んでいたことは、確かの様です。そして、住んでいた日本人のことは、「倭人」と呼んでいたことは確かと考えて良いと思われます。

と記しましたが、文献の中に、「5.魏志倭人伝」があります。
この中に書かれてある事は、虚偽が多くて、資料として使うことは出来ないと書いてある書物がありましたので、このページを書き加えることにしました。

『国民の歴史』は、( 西尾幹二 編/新しい歴史教科書を作る会 )  775ページまであります。

ここに書いてあることを検証しようとしますと、少なくとも、西尾幹二氏の考え方を知る為には、西尾幹二氏の著書をすべて、読む必要があります。

西尾幹二氏の著書
https://www.amazon.co.jp/%E8%A5%BF%E5%B0%BE-%E5%B9%B9%E4%BA%8C/e/B001JOSZU8 これ以外にもいっぱいあります。


日本の歴史を考えるのは難しいですね。
中国に文献が有るからと言って、そのまま利用するのではなくて、その資料が正しいかどうか、調べなければいけないらしいです。 
正論かも知れませんね。

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大阪北部を震源地とする地震の検討 その6 [日本の地震]

 大阪府北部地震
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%8C%97%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87#被災者数・件数
 この資料は、何時発表されたものかが判りませんので、判断する時に、役に立ちませんが、私が一番気になった点は、

次の資料です。 資料の中では、一番強い地震があった地域は、
次の所です。
6弱 大阪府 大阪市北区、高槻市、枚方市、茨木市、箕面市


前回までに書いてきました文章は、記憶違いもあって不正確ですが、高槻市と箕面市において、人が感じた揺れは、大した揺れでは無くて、被害も全く有りませんでした。

最初に感じた地震の揺れは、「横揺れ」でしょうか。「縦揺れ」でしょうか。

①人には、どちらが、強く感じるのでしょうか。
②どちらの揺れ方が、被害が大きくなるでしょうか。

地震の大きさを表現するのに、マグニチュードと、震度がありますが、どちらの数字が大きい程、被害が大きくなるのでしょうか。

③地震には、大きい時は、地震に名前がつけられます。この地震には名前が付けられていません。

☆なお、気象庁はこの地震の命名を行っておらず、公的機関では「大阪府北部を震源とする地震」や「大阪府北部の地震」などと称呼されている[12][13]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%8C%97%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87#観測された揺れ

と云うことは、気象庁は、記録に残すほどの地震では無いと判断されたのでしょう。

しかし、メディアの方が、どんどん、報道したことになるでしょうか。

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日本はどうして「倭」と呼ばれたか その3 [日本の歴史]

「倭 どうして使われた」をキーワードにして検索しましたら、一杯、ヒットしました。

①我が日本は、なぜ倭(和)国と言う(言われた)のでしょうか?「... - Yahoo!知恵 ...
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp › 教養と学問、サイエンス › 歴史 › 日本史

②倭の語源について - 日本語起源の探究
http://roz.my.coocan.jp/wissenshaft/wa.html

読めば読むほどに、詳しく書いて居られる方が居られることが判ります。

私のような素人にとっては、とても敵わないなと思うと同時に、もう少し、詳しく知りたいと、どんどん読んでしまいます。

「倭」という漢字は、不思議な漢字ですね。

旁の部分は、「委」は、上は稲でしょう。 下は、女性です。
昔は、稲作は、女性が大部分をしたのでしょう。

漢字や言葉は、このようにしてどんどん作られたのでしょうね。

だからと言って、人偏に「委」を加えて、「倭」を作ったからと言って、どうして、国の名前と成り、どうして、「やまと」と読むのでしょう。

又、はじめに戻ってしまいました。

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大阪北部を震源地とする地震の検討 その5 [日本の地震]

途中から読まれた皆さんに、どうして、大阪北部で発生した地震のことを書いているかを説明しますと、
6/18の最初の地震は、M6.1でした。箕面市在住のわが家では、屋根の瓦等がずれるわけでは無く、被害は、食器棚として使っていたタンスが、棚の部分が、くずれて、食器がバラバラに落ちた為に、二つのコーヒー茶碗が割れただけでした。
 震源地に近い高槻市に住んで居ります娘の家は、全くなんの被害もありませんでした。
 (後日、お見舞いに行きました時の話では)

 一番恐怖心を感じたことは、地震が起こって、しばらくして、テレビ報道が、次々有りました。大阪府では、避難場所を用意し、危険のある人達は避難するように報道が有りました。
 一番、恐ろしかったのは、今までに聞いたことの無い様な大きな音で、電話が鳴りました。普通の電話機は、成らないで、私と家内の携帯が鳴りました。二回とも内容は、同じ内容でした。確か、よく考えて、行動するようにだったと記憶します。大阪では、避難施設が準備されたようなこともあったと思いますが、詳しくは、忘れています。 大阪府の住民、全員に、このような警報を出したと言うことは、相当、震源地では、ひどかったのだなと思いました。 
 しかし、私達は、3ヶ月は、電気ガスが無くても、食事ができるように準備をしていましたから、避難はするつもりは有りませんでした。
 
以上書きました様に、大阪府と箕面市の対応は、必要以上に、住民に注意を呼びかけられたのではないかと思いました。
 それを助けたのは、メディアの報道だったのではと思いました。

と云う次第で、地震の分析にはならないかもしれませんが、自分なりに考えました。

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日本はどうして「倭」と呼ばれたか その2 [日本の歴史]

井沢元彦氏が 逆説の日本史  封印された「倭のなぞ」の80ページより。235ページまで使って書かれたことを私が、自分で書く事は出来ません。
そこで、井沢元彦氏が始めに書かれた部分を、紹介するだけで、「倭」に触れて頂こうかと思っています。

ページ80に、「倭」という国号にまつわる四種の説
というタイトルを記し、次の文章の書き出しで始まっています。

日本、この国はその歴史の初めには、「倭」と呼ばれていた。それが大和(やまと)になり日本になった。
二ページほど、省略して、

たとえば、最新の通史である『日本の歴史② 倭人騒乱』(田中琢著 集英社刊」)を参考に、これまでの考え方を示すと、と記して、次の四つの説を掲載して居られます。

A、日本列島人(原住民)が中国人に国の名を問われて、「我らの国」と答えた(つまり「ワ」)
と言った)。それゆえ、「倭」となった。 <卜部兼法・一条兼良・松下見林説>。

B、その頃の日本原住民が柔順な性質を持っていたので、その意味の「倭」を当てた<本居宣長説>。

C、原住民の体つきから見て、「背が丸く曲がって低い」という意味で「倭」を当てた<藤堂明保・金関丈夫説>。

D、日本列島は中国本土から遠い、そこで「はるか遠いところ」という意味で、「倭」を当てた。<岸 俊男説>。

なんのことは有りません。A~Bは、すでに、発表された「倭」に関する資料を四つ挙げられたことになります。
この後、著者である井沢元彦氏は、「少し、わかりにくいと思うので補足する」 と記して、235ページまで続きます。

「倭」と言う国が、どのような国であったかは、避けて通れない日本の歴史の部分であることが判ります。
井沢元彦氏は、卜部兼法・一条兼良・松下見林説と、本居宣長説と、藤堂明保・金関丈夫、岸 俊男の研究を利用して、自分の論文を形成して居られる事になります。

多くの方が、アタックされた「倭」ですが、私はA、B、C、D の中で、どれに賛成するかと言いますと、案外、

Aが一番、正しいのではないかと思います。

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