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郷社 粟島神社 [日本の歴史]

西伯郡彦名村大字彦名字淡島山鎮座

 祭神 少彦名命、大己貴命、高皇産麗神、神皇産麗神
    稲背脛命、管原道真公、宇牟伎比賈命

 由緒 創立年代不詳、当社境内ノ地形に就て見るも
    頗る古代の風致なり、社地は円形岩石の弧峯
    にして頂きニ鎮座し、古木森々として社殿を
    擁セリ、社前は石階高く社後には一株の神樹
    あり、其の周一丈五尺餘、之を往古リ御崎松
    ト称す、山脚に静の岩谷と唱ふる一洞あり、
    口幅五尺許深さ幾千尺ト謂ふを知らず、土人
    の口碑に上古の岩垣岩柱にて神の居址なりと、
    又社境に隣接せる瀬灘は今を去る事凡そ七百
    年前餘戸瀬と称へし地にて聚落の地なりしが、
    当時激浪の為めに蕩没したりと云ふ付近の田
    圃より巨大の石室及び腐蝕したる刀剣、土器
    人骨を発掘することあり当社は永正年中尼子
    経久の為めに兵燹に罹り、大永四年又経久よ
    り再建、其の後元禄二年火を失し蕩燼、元禄
    三年社殿を建立す(棟札存す)当社は延喜式等
    に見るべきなしと雖も古事記、釋日本己に淵
    源を明記せり、其の他の古記は悉く焼失、文
    献の徵すべきものなし、明治元年境内末社を
    合祀す、同四十年二月三日新鮮幣帛料供進神
    社に指定せらる、大正二年十月十二日彦名村
    字後藤鎮座無格社北野神社(祭神菅原道真公)
    同村字下栗島鎮座無格社餘戸神社(祭神字牟
    伎比売命)を合併す、大正十一年十二月二十
    一日災火により社殿焼失、其後復興新築を完
    了す。

 例祭日  四月十二日

 建造物  本殿、幣殿、拝殿、透塀、随神門
      神楽殿、参籠所

 境内坪数 八千九百六十四坪

 氏子戸数 四百二十三戸
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郷社 逢坂八幡神社 [日本の歴史]

西伯郡逢坂村大字松河字宮木   地図
http://www.jinja.in/single/86688.html

鎮座地 鳥取県西伯郡大山町松河原233番

祭神 誉田別尊、息長帯姫尊、田心姫尊、湍津姫尊、市杵島姫
尊、天照皇大神、素盞鳴尊、稲田姫尊、天穂日尊、活津彦根
尊、天津彦根尊、熊野久須日尊、天之忍穂耳尊、大山祇尊、木
花咲耶姫尊、倉稲魂命、武内宿禰命

由緒 当社は貞観七年乙酉三月豊前国宇佐八幡宮より勧請せ
る所、最初は大坂郷大社宇佐八幡宮と称し、中古は大坂八幡
宮と号す最も崇敬厚き神社として多数の神田あり、又神官社僧
も多員ありて祭祀を奉ず、応仁以降国乱に当り神田廃棄神官
社僧も共に減ず、天文十二年五月(153)尼子晴久当社に祈願し
霊感ありて同年六月五日神田百二十石の寄附あり尋で義久勝
久皆先規を襲ふ(尼子氏の古文書三通現存す)此の時神官社僧
も再び増員す、豊臣氏の時百石を没収せられ僅かに二十石を
存ししを後中村伯耆守に悉く没収せらる、爰に於いて神田再び
絶す、神宮寺の僧侶はこの際に廃絶す、(慶長三年四月社殿火
災ありて旧記多くは焼失せり、神宮寺の遺跡として神社境内に
一小堂本尊薬師仏の像を安置せしが、慶応四年の秋神社取調
べの際廃らられ仏像は一時村内の仏堂に隠したるを今は神社
の宝物として保存す)寛永中橋汗入両郡領主池田摂津守利政
郷内岡村に住館、連枝誕生多く因て産土神と厚く崇敬せられ、
毎年祭典費若干寄附せらる、後国換に因て備前国に移転あり、
同十年十一月二十六日因伯の大守松平相模守社領高三石五
斗八升を永く寄附せらる、池田氏数世の後大蔵少輔知利に至り
備前
因幡に帰藩あり、旧に依て復厚く当社を崇敬せられ永く祈願所
として毎年金若干の奉納あり、弘化三年丙午の秋池田式部利
壽幕提灯等を寄附せらる。是より幕提灯はすべて池田家の紋
章を用ふ、慶応四年神社取調の際社号を逢坂神社と改められ
る、合殿武内宿禰命は本社創立の際より相殿に奉祀す、又倉
稲魂命は本社境内に末社と崇敬奉祀せしが慶応四年に合祭
す、明治五年二月郷社に列せられる、明治四十年二月三日神
饌幣帛料供進神社に指定せらる、大正六年四月逢坂村大字松
河字宮木鎮座無格社松河原神社(祭神 素盞鳴尊、稲田姫尊、
天穂日尊、活津彦根尊、天津彦根尊、熊野久須日尊、多紀理
姫命、狭依姫命、多紀津都姫命、正哉吾勝々速日天之忍穂耳
尊、天照大神) 同村大字岡字枝屋敷鎮座無格社岡神社(祭神
大山祇尊、木花開耶姫命、倉稲魂命 )を合併す、同年八月同
村大字殿河内字谷鎮座無格社殿河内神社(祭神 素盞鳴尊 )
を合併す、大正九年十二月社号を逢坂八幡神社と改称す。
 当社境外所有地逢坂村大字岡の海岸に接する小丘(雑種地
六畝十七歩)に隠岐神塚と称する地あり、往古の大坂港の地な
り、元弘三年閏二月後醍醐天皇隠岐国より伯耆に御潜幸、この
地の海岸に御着船御上陸、此の塚の上に御休息あらせられ、
それより名和氏船上山へ奉迎せしと云ひ伝ふ、小祠を存す、後
醍醐天皇を祀る、今此の丘上に後醍醐天皇御着船碑を建つ、
往年八代国治博士当社を視察し、或は後醍醐天皇の御祈願所
にあらずやと述べられしが、現に船上山智積寺住僧来りて遷宮
式を行ひし古棟札を存す。


境内神社 摂津神社 祭神 池田摂津守利政朝臣

例祭日 4月15日
特殊神事  筒粥祭  (1月15日)
      蛇 祭  (2月15日)
      神幸祭  (4月15日)
      菖蒲神楽 (5月5日)
      古伝祭  (8月15日)

建造物 本殿、拝殿、透塀、神饌所、神楽殿
境内坪数  1803坪
崇敬者戸数 410戸
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鹽津神社 [日本の歴史]

西伯郡逢坂村大字?津字宮ノ前鎮座

 祭紳 天照大神、素戔嗚尊、倉稲魂命

 由緒 創立年代不詳、往古は該村の産神
    にして村社と崇敬奉祀す、故に中
    古迄逢坂別社妙劔大明神と号す、
    往昔毛利元就崇敬ありて社殿再建
    の挙あり(天正十九年遷宮の記に見
    ゆ)然れども其前後の事不詳、慶応
    四年九月?津神社と改められ逢坂
    八幡神社の摂社となる、号祭倉稲
    魂命は本村内字古宮に祠字ありて
    稲荷大明神と称せしを、慶応年中
    本社に合祀せらる。

 例祭日  十月九日
 
 建造物  本殿、拝殿、神楽殿、随神門

 境内坪数 九百六十三坪

 崇敬者戸数 六十五戸
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高橋神社 [日本の歴史]

西伯郡逢坂大字高橋字明光寺鎮座

 祭紳 素戔嗚鳴尊、句々智廼智命、菅原道真
    大山祇命

 由緒 創立年代不詳、往古は逢坂別社妙剣大明
    神と称す、元本村地内字妙剣の峯社殿在
    りしを貞享二年冬現今の地に遷移す、古
    社地は面積三千余坪あり、慶応中神職氏
    子協議に因り該村共有の官許を仰ぎ、永
    く神社修繕の備となす、慶応四年九月高
    橋神社と改められ、逢坂八幡神社の摂社
    となる、牛頭天王、天神、稲荷大明神、
    山ノ神の四社を合祀す。

 例祭日  十月十九日

 建造物  本殿、拝殿、神楽殿

 境内坪数 三百四十三坪

 崇敬者戸数 三十九戸

私が気になった点

 高橋神社の祭紳と、其の後、合祀された牛頭天王、
 天神、稲荷大明神、山ノ神の四社とは、少し、神
 の性格?が違うように思われます。

 自分たちが、信仰する神さんが、こうも異なる神で
 あっても、村が、上手く成り立ったのでしょうか。

 この分析は、西伯郡逢坂大字高橋字明光寺の皆さん
 に、お願いするしかないような気がします。
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村社 寳宮神社 [日本の歴史]

西伯郡光徳村大字倉谷字坊垣 鎮座

 祭神 建御名方尊、菅原道真朝臣、国常立尊、大己貴尊
  
    木花開耶姫尊、火酢芹尊、火折尊、日子火火出見尊

 由緒 創立年代不詳と雖も、往古は倉谷神社、木料神社、
    前谷神社として各村に鎮座在りしを、正保三年九月
    現今の地に奉遷し一棟の社殿を建立殿内を三分し各
    扉を分ちて奉祀す、往昔倉谷神社は豊成村の内元前
    谷字王子に祠宇てありて王子権現と称せり、倉谷及
    び前谷の崇敬奉仕する所是れを西の社とす、木料神
    社は元木料村字山王に祠宇ありて山王権現と称せり
    元木料一村の崇敬奉仕する所是を中の社とす、前谷
    神社は倉谷村字保野賀に祠宇ありて初生大明神と称
    せり、元前谷及倉谷の崇敬奉仕する所是を東の社と
    す、慶応四年九月神社改正の際各村の産土神として
    社号を倉谷神社、木料神社、前谷神社と改めらる明
    治五年二月村社に列す、明治四十一年社殿を新築し
    合殿に改め明治四十四年九月二十九日社に合併し社
    号を寳宮神社と改称す大正五年十月四日神饌幣帛料
    供進神社に指定せらる。

 例祭日  十二月一日
 
 建造物  本殿、拝殿、神楽殿、随神門
 
 境内坪数 千二百九十五坪

 氏子戸数 百八十戸
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藤森神社 [日本の歴史]

西伯郡大国村大字原字小白鎮座

 祭紳 舎人親王、尼子経久

 由緒  創立年代不詳、往古は藤森山に鎮座
     せるを後小白山に奉遷す。

 例祭日 十月一日

 建造物 本殿、幣殿、拝殿

 境内坪数 七十一坪

 崇敬者戸数 八十戸
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村社 鈑戸神社 たたらど [日本の歴史]

西伯郡大山村大字鈑戸字槇平鎮座

 祭神 大国主神、伊弉諾神、伊邪那美
    須佐之男命、倉稲魂命

 由緒 創立年月不詳、古来三社大明命
    と號す伊弉諾、伊弉冉の二柱は白山神社
    の分霊にして、大国主神は三輪神社の分體
    なりと伝ふ、蓋し往昔該村開けしときに當
    り人民始めて勧請奉祀せしものなり、明治
    元年鈑戸神社年代不詳、改称村社に列せら
    る、合祀倉稲魂命は村内上ノ山にありしを
    明治元年十月合祀せらる、大正六年十一月
    二十三日大山村大字鈑戸字荒神平鎮座無格
    社種原神社(祭神須佐之男命)を合併す、大
    正六年十一月二十三日新鮮幣帛料供進神社
    に指定せらる。
    
 例祭日 十月十九日

 建造物 本殿、幣殿、拝殿

 境内坪数 二百八坪

 氏子戸数 八十六戸

http://houki.yonago-kodaisi.com/F-Jinja-houkiW-C-daisentyou.html


難儀した投稿記事
 ① 鈑戸神社の「鈑」という漢字が、どうしても、私のコンピューターで
   入力できませんでした。
 ⓶解決は、どこから見つけたか忘れましたが、「西伯郡」に存在する神社
  を探しましたら、見つかりました。そして、そこにあった「鈑」をコピー
  し、画像として、保存しました。
 ③ 「鈑」という漢字は、「バン」と読めそうですが、「バン」で検索しても、
   コンピューターでは、表示できませんでした。

 ⓸ 「鈑」は、「板」の木の部分が、金です。「板」は「イタ」と読みますから、
   「鈑」は、金属を薄くしたものですから、
    「バン」で検索しましたが、見つかりませんでした。
 ⑤ おかしいことに、一般には、使われないそうです。金属の加工の仕事に携わる
   人の間では、使われることが解りました。
 ⑥ タイトルに書きましたが、「鈑戸神社 」は、「たたらど」と読むことが解りま
   した。

  以上のことが解るようになったのは、一日中、コンピュータと戦って、二日かか
  りました。

 この漢字が、使われなくなった理由は、解りませんが、深い「訳」があるのでしょう。

この後は、文章が、カットされました。

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村社 高杉神社 [日本の歴史]

西伯郡大山村大字宮内字早稲ノ上鎮座

 祭神 大足彦忍代別命、大日本根子彦太瓊命、
    押別命、本媛之命、松媛之命、千代姫
    命、小葉枝皇子、根鳥皇子、天照大御
    神、武速須佐之男命、誉田別命

 由緒 創立年代不詳、往古より藩主の祈願書
    として社領若干あり、武門武将の崇敬
    も厚く、社蔵の棟札古書類にも元汗入 
    郡大社高杉郡或は高杉郷大社ありと、
    造営並に修理の費用祭費等郡中より徴
    収するの例あり、慶応二年丑十一月現
    社地に移転再興すと記したる棟札、並
    に寛永七年寅三月由来書き上に、境内
    に杉成長すること他に異なり大山金門
    鳥居の笠木に衆徒より望まれ之を截る、

    夫より災妖止むときなく云々とあり、又
    雄略天皇丙辰の歳近郷衆庶に祟りあり
    恠事年を累ね人民之を欺く、其の時神
    の託宣に二人の官女たる松媛命、千代媛
    命の霊魂が細姫に対し嫉妬の祟りとし、
    之れを神廟に祭祀し、御告の随に宮殿建
    造し一ノ御前社(本殿モトドノ) 二ノ御
    前社(中殿)三ノ御前(末殿)と奉祀し、祭日
    には嬲神事とて三人の仕入れ物忌み神懸
    りあり幣帛を以て打ち合わせ式あること
    を絶えず、当社古書類は毛利尼子の兵乱
    の為焼失したると会見郡美濃村秦某が奪
    取して美作國玉森明神に隠し納めたりと、
    皇霊山城陥り尾高城に変遷の際社領宝物
    尾貴重品等尾高に奪取せられたるため伝
    はらず、当時幸いにして兵?を免れたる
    随神の古神像二體を現存するのみ、元禄
    二年迄は高杉郷八ヶ村の鎮守氏神なりし
    も、皇霊山牧草採取に関して山論あり、
    坊領佐摩今在家は大山寺領なりしを以て
    大山奉行圓山源兵衛の裁断にて坊領に神
    社を創立して氏子を離れ、続いて平、中
    高、神原、長田も分離せしも、今に祭日
    等同日に行ひ総氏神と尊信せり、当社々
    伝には皇霊山は景行天皇御草創の地にして、
    皇子忍別命の本居別稲置の首にして当社は
    皇孫代々の宗廟たりと、明治五年村社に列
    せられ、同四十一年十一月十九日新鮮幣帛
    料供進神社に指定せらる。大正元年大山村
    大字宮内字村邸鎮座無格社壹之神社(祭神
    本媛之命)同村大字同字早稲ノ上鎮座無格社
    貮之神社参之神社(祭神松媛之命千代媛之命)
    を合併す、同二年十月大山村大字平字村屋敷
    鎮座無格社平神社(祭神小葉枝皇子大葉枝皇子
    根島皇子 天照大御神) 同村大字宮内字村屋
    鋪?座無各社荒神社(祭神武速須佐之男命)を合
    併す。

例祭日  十月十五日

建造物  本殿、幣殿、拝殿、神饌所

境内坪数 五百八十九坪

氏子戸数 七十戸

気になった事

 東伯郡に比べますと、西伯郡は、祭紳の数が多い様に思われます。

この人たちは、中国からやって来た人達ではないかと推理しています。
之が正しいとしますと、祭紳は、中国から背負って来たと考えるしか
ありません。 そうしますと、これらの祭紳の名前は、中国語に由来
することになります。
 残念ながら、中国語は全く知りません。
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村社 日間神社 [日本の歴史]

西伯郡大山村大字豊房字前田鎮座

 祭神 大日霎命、月読命、伊邪那岐神、
    高垣神、御妻神、大穴貴神、
    少彦名神

 由緒 創立年月詳ならざれども、木椀元祖惟
    高親王の末葉轆轤師山本右近藤原家富
    なる者、此の地に移住して開業の始に
    祭りし神なりと云伝ふ、故に其地を右
    近垣と云ふ、又世俗伝へて神主塚と云
    へり、古来日光月光兩大明神と称へ崇
    敬せしを、明治元年神社改正の際日間
    神社と改称せらる、大正二年一月三十
    日大山村大字豊房字八斗内鎮座無各社
    蔵岡神社(祭神伊邪那岐命高垣神)同村
    大字同字松本鎮座無格社畑神社(祭神御
    妻神)同村大字同字大森神社(祭神大穴
    貴神少彦名神)を合併す、大正六年十月
    十七日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

 例祭日 十月二十日

 建造物 本殿、拝殿、神楽殿

 境内坪数 二百三十一坪

 氏子戸数 百戸
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村社 佐間神社 [日本の歴史]

西伯郡大山村大字坊領字下宮長鎮座

 祭神 天津彦火瓊々杵尊、誉田別尊
    市杵嶋姫命、瑞津姫命、田心姫命
    倉稲魂命、伊弉諾尊、五十猛命
    素戔嗚尊

 由緒 創立年代不詳、往古より佐間大明神と称し
    本村内字岡ノ谷に鎮座せられしを、其の後
    現今の地に移転す、明治維新の際佐間神社
    と改称せられ村社に列す、此の時村内鎮座
    の八幡宮、厳島大明神、稲荷大明神を合祀
    せらる、大正二年十一月二十三日大山村大
    字前字宇多川神社(祭神伊弉諾尊)同村大字
    同字川床鎮座無格社山口神社(祭神五十猛
    命)同村大字同字川床鎮座無格社山口神社
    (祭神五十猛命)同村大字今在家字清水坂鎮
    座無格社今在家神社(祭神素戔嗚尊、市杵
    島姫命、?津姫命、田心姫命) 同村大字
    佐摩字池田鎮座無格社佐摩神社(祭神素戔
    嗚尊)を合併す、大正六年十一月二十三日
    新鮮幣帛料供進神社に指定せらる。

例祭日 十月十五日

建造物 本殿、拝殿、神楽殿

境内坪数 千六十六坪

氏子戸数 百九十戸
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